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不思議体験

本宮晃樹さんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

迷い込んだ遭難者
長編 2026/02/01 12:13 194view

11月15日 晴れ
 伊吹北尾根に迷い込んで2日目。虎子山南峰から南西に伸びる支尾根に入り込んでいるのは間違いない。地形図にプロットされた無名峰の1,163メートルピーク近辺に自分はいる。尾根に沿って北上すれば本道に復帰できるはずだ。
 なぜ戻れないのかまったくわからない。リングワンダリングという現象だろうか。何度もコンパスで方角は確認している。誰がなんといおうと、自分は北へ向かって歩いている。それでもふと気がつくと、目印として落としておいたスリングのある地点に戻っている。気が狂いそうだ。

 日記は几帳面そうな細い字で、びっしりと隙間なく書いてあった。罫線からはみ出すことなく軸のずれもない。内容はわたしが疑問に思っていたことそのものだった。現在地を(驚くほど正確に)推定できているのに、なぜ彼は下山できなかったのか?
 たとえ登山道外の支尾根にいるにしても、10分も北上すれば嫌でも南峰に合流できたはずだ。尾根で迷ったらとにかくピークを目指して登ればよい。山頂には必ず正規の登山道が伸びてきている。こうして道迷いは自然に解消される。
 南峰に戻ってしまえば、車道の通っている国見峠までは1時間もかからない。まして日記の文面や装備からして、遭難者は相当の経験を持つベテラン山屋のように思える。どうも腑に落ちない。

11月16日 曇り
 今日も下山を試みるも、また例のスリングが落ちている地点に戻ってきてしまった。これはいったいどういうことなのだろうか。自分は絶対に現在地から支尾根を北に登っていった。けれども気づくと藪が円形に刈り払われた小ピークに立ち尽くしているのだ。
 どう考えてもおかしい。意図的に180度方向転換する以外、この場所に戻ってくるはずがない。もちろん自分はそんな真似をした覚えはない。
 ビバーク用のツェルトで夜をしのいでいるが、寒さでほとんど寝られない。食料も残り少ない。近くに取水できそうな沢はあるが、深くV字に切れ込んでいてとても降りられない。水が切れれば遠からず脱水症状で行動不能になる。明日中には下山しなければ危ない。

11月17日 晴れ
 ついにつながらないまま携帯の電池が切れた。圏外なのはしかたないにしても、オフラインで使えるはずのGPSすら起動しないのは理屈に合わない。何度開き直しても、現在位置が正確にプロットされないのだ。
 地図を眺めていて、もっと恐ろしいことに気づいた。紙の地形図と実物の地形に齟齬がある! 自分のいる支尾根が仮に南峰から派生したものであるなら、小ピーク周辺は勾配の緩いなだらかな坂になっていなければならない。
 ところが現実は、小ピークから三方向に派生する支尾根のどれもが鋭く切れ落ちている。等高線の作図ミスなのだろうか? そうでなければ自分は、完全に現在地をロストしていることになる。

 背筋に悪寒が走った。慌てて地形図を参照してみる――日記のような齟齬は見られなかった。小ピークから先は緩やかに下っており、二次元に落とし込まれた等高線と一致している。遭難者はパニックのあまり読図を見誤ったのだろうか。

11月18日 くもり
 今日も一日中下山しようともがいた。歩けば歩くほど本道から遠ざかっていく気がする。気づくと例のスリングが目に飛びこんでくるのだ。夢遊病のような状態になっているかもしれないので、コンパスをにらみながら歩いてみた。
 確信をもって断言する。針はずっと北をさしていた。それでもスリングの地点に戻ってきてしまう。水が切れてまる一日たつ。もうなにをするのもおっくうだ。助けをまったほうが賢明かもしれない。

11月19日 小雨
 寒い。体温がうばわれていく。とにかく寒い。

11月20日 くもり
 自分はたぶん、しぬまでこの山からでられないのだとおもう。木々が風でざわめいたとき、たしかにきこえた。何者かの笑いごえを。

11月21日 雨
 さむい。さむい。さむい。こわい。

 日記はここで終わっていた。思わずわたしは手帳を投げ捨てた。風にたなびく木々の隙間から、何者かの高笑いが聞こえたような気がしたのだ。
 それにさっきまで地形図通りだった尾根が、ちょっと目を離した隙に急角度で切れ落ちる急峻な坂になったように思える。坂の底はうそ寒い闇に包まれており、なにか邪悪なモノが這いあがってくる気配が漂っている。
 わたしは頭を抱え、2人が戻ってくるまで強く目を閉じてうずくまっていた。それは図らずも、遭難者が往生を遂げた姿勢と同じであった。

 2時間ほど経ったのち、2人が連れてきた警察と消防が現場に立ち入り、あとは行政の仕事となった。われわれは任務を終えて山を下り、公民館でお茶をしばいていたお偉方のありがたい訓示を受けてから敬礼、解散となった。
 分団長は地元消防団のメンツを保てたことでいたくご機嫌となり、その日はお偉方だけでコンパニオンを呼んでの呑めや歌えやの乱痴気騒ぎをやらかした由。

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