わたしたちは捜索計画の北限であるブンゲンに、昼前には着いてしまった。ブンゲンは全方位に渡って開けた開放的なピークで、カラリと晴れ渡った蒼空の向こうに陽光を反射してまぶしく輝く琵琶湖が遠望できる。わたしたちは与えられたお役目も忘れて、絶景に見惚れながらカップラーメンと菓子パンで昼食をすませた。
言いつけ通り、定時報告として西田がトランシーバーでC班と交信した。北尾根界隈は山深いうえに電波需要も皆無なので、携帯電話キャリアのサービス対象外である。免許不要の小型トランシーバーは有効距離こそせいぜい1キロメートル程度だが、基地局を経由せずに直接電波をやり取りできるメリットがある。
C班経由の情報によれば、A班の捜索も空振りに終わり、行方不明者は影も形もないそうだ。午後になって風も出てきた。青天とはいっても11月の標高1,000メートル台、気温は徐々に下がってきている。二次遭難でも起きれば目も当てられないということで、撤収命令が出た。
下山時には驚くほど景色の見え方が異なることがある。特に尾根の下りでは視野が広がるので、登りでは目につかなかった支尾根にも気づく。とはいっても本来であれば自宅でベッドに寝転がって午睡を貪っている時間帯だ。早朝出頭のせいで睡眠も削られている。気だるい気分のまま、わたしたちは遭難者の発見をなかば諦め、他愛のない雑談に花を咲かせていた。
虎子山を過ぎ、虎子山南峰(1,180メートル)を東へ折れようとしたときだった。気づいたのはわたしだった。登りでは見落としていたのだが、南峰から南西に伸びる野良の尾根の入り口付近に、黄色い布のようなものがが落ちている。
息せき切って駆け寄ってみると、それは紛れもなくスリングだった。スリングというのはロッククライミングで多用するギアの一種である。カラビナと組み合わせることで、プロテクション確保に、セルフビレイにと用途の幅は広い。
伊吹北尾根にはもちろんそんな代物を使う難所はない。昭和20~30年代に山を始めたベテランには、どの山へ行くにも意味もなくカラビナやロープをジャラジャラとザックにぶら下げたがるご仁がいる。これはおそらくそうした登山者が落としたものだろう。
問題のスリングは真新しい蛍光イエローで、状態から見ても落ちてからそれほど経っていないようだ。事前情報でも行方不明者は60代のベテラン男性ということだったので、これが彼の持ち物である可能性は高い。もしかしたら南峰から尾根が東へ振っているのに気づかず、登山道の切り開かれていない支尾根に迷い込んでしまったのかもしれない。
わたしを先頭にして、南西尾根に足を踏み入れてみた。ピークから少し下ると腰ほどの灌木が密集しており、とても歩けそうにない。しかしよく目を凝らすと、藪の薄いラインがぼんやりと浮かび上がってきた。獣道なのかバリエーションとして開拓されているのか。おっかなびっくりさらに踏み込む。
すぐに第二の落し物が見つかった。紫色のカラビナが藪の枝に引っかかっている。どちらかというと故意にセットしたようにも見える。これも経年劣化の兆しは見られず、落とされてから幾日も経っていないようだ。
それからも藪を漕ぎながら尾根を少しずつ下っていくたび、まるでわれわれを誘い込むかのように登山ギアが一定間隔で落ちている。どうにも剣呑な雰囲気だ。発見当初の高揚感はとっくに薄れていた。なにか巧妙な罠に落ち込んでいくような気分とでもいおうか。
荒井と西田も会話らしい会話をせず、しきりに首を左右に巡らせて周りを気にするそぶりを見せていた。風が心なしか強くなったようで、灌木が大きくたわんで不安を掻き立てる。
虎子山南峰から藪を漕ぎながら下ること10分、地形図上の無名峰(1,163メートルピーク)を少し下った広めの小ピークで、われわれはついに遭難者の遺体を発見した。彼はまるで絶望の果てに命を落としたとでもいうかのように、大きな岩に腰かけてうつむいたまま往生を遂げていた。
わたしはあまりの光景に言葉を失い、1分以上は呆然と立ち尽くしていたと思う。遺体を見るのが初めてだったのもあるが、座ったまま死んでいる人間というのはなにか、人を魅入らせる妖しい魔力のようなものがあった。
やがていち早く我に返ったらしい西田がテキパキと指示を出してくれた。現場保全のために1人がここに残り、もう1人が報告兼道案内としてA班のお偉方と警察・消防を連れてくる。最後の1人は南峰の分岐点に立ち、ケルンとしての役割をまっとうする。
ジャンケンで勝った者から好きな役割を選べることになり、わたしは最初の1回目で2人に負けてしまった。もはやどちらが勝とうが同じことだった。
* * *
山中に1人取り残されるというのは想像以上に心もとない。
時刻も15時を回り、秋の陽は大きく西に傾いている。冬の到来を思わせる冷風が間欠的に吹いては止み、ときおり鹿らしき動物が視界の端を駆け抜けていく。そしてかたわらには遭難者の遺体。この状況下で精神を平静に保つのは至難の業だ。
落ち着きなく足を踏みかえながら何度も腕時計を確認するも、そのたびに1分も経っていないことを知って愕然とさせられた。そんなやり取りを何度もくり返すのにウンザリしたわたしは、あたりをブラブラ歩いて気を紛らわせ始めた。
遺体のある小ピークはなぜか、かつて流行ったミステリーサークルのように藪が刈り払われており、歩くスペースには事欠かない。
遺体から離れたい一心で円の周辺をぶらついていると、丈の低い灌木の上に小さな手帳が落ちているのに気づいた。ハンディタイプのコンパクトなサイズで、ワイシャツの胸ポケットに収まりそうな代物だった。昭和世代のベテラン山屋になると、ラジオの天気予報から自分で天気図を書き起こせる者もいる。きっと彼もそのたぐいだったのだろう。
しかしなぜ、遺体から離れたこんな藪の中に手帳があるのだろうか。
わたしは手持ち無沙汰だったのもあり、好奇心を抑えきれずに表紙をめくってしまった。予想した通り、1ページ目には大雑把な天気図が殴り書きされていた。1,000 hpaを下回る低気圧が西の海上に描かれており、この後天気が荒れ模様になることが読み取れる。
続けて次のページをめくってみる。
※以下の記載内容については、当方で適当に内容を補完していることをあらかじめ断っておく。原文は水染みや破れによってところどころ判別不能な部分があった。
魔の山域に迷い込んで2日経った。自分の正気を保つために今日から記録をつけようと思う。
わたしは首を傾げた。確かにこのあたりは秘境とまでは言わないまでも、人通りの少ない静かなフィールドではある。それでも谷川岳のような〈人喰い山〉なんかではまったくない。過去に遡れば死亡事故も0件ではないだろうが、ごく少数のはずだ。言うに事欠いて〈魔の山域〉とは、少々大げさな気がしないでもない。
さらにページをめくってみる。





























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