「そうそう、俺には埋めるのを専門にしてるダチがいてな――」
薄暗い山中で邂逅した彼は、そう言って話し始めた。
11月某日、晩秋の鈴鹿山脈北部でのできごとである。
諸事情により、最近は山行回数がめっきり減りつつあった。かつては毎週土日は必ずどちらかを登山に充て、その都度独創的なルートを構築していたものだ。
いまでは単独山行は月に1回確保できればよいほうで、そのせいもあってその1回に全精力を傾けがちであった。
11月某日に決行した山行はその最たるものであった。コース取りは以下の通りである。
滋賀県政所町~天狗堂~滝谷山~御池岳~ノタノ坂~ヒキノ~東山~滋賀県政所町
山行時間は13時間近く、距離35.6キロメートル、累積標高差は2,900メートルという、ワンデイとしては荷が勝ちすぎたルートとなってしまった。
鈴鹿山脈は関西から引きも切らずに登山者が訪れる人気のフィールドであるが、三重県側とは対照的に滋賀県側登山道は整備が行き届いておらず、人通りは皆無に近い。
それらを見越して早朝に出発してはいたものの、終盤のヒキノあたりですでに日没を迎えていた。わたしはスマートフォンのライトを頼りに、複雑に褶曲する稜線を苦戦しながら歩いていた。
この時点で行動時間は11時間を超えており、筋力、体力、気力のどれをとっても消費しつくしていた。
ヒキノ(843メートル)に命からがらたどり着き、アミノ酸とカロリーを補給できるゼリーをすすっていると、だしぬけに登山道外の尾根から人が這いあがってくるのに出くわした。ただでさえ人通りの皆無な滋賀県側の支脈、それも日没後で、おまけに東を流れる茨川の谷底から人が登ってくるなどというのは、まったくの想定外である。わたしは度肝を抜かれてしまい、驚きを通り越して呆れてものも言えなかった。
「おっと」その人物も驚いているようだった。「これはたまげたな。アンタ、遭難してんのか」
問題の人物は40台前半くらいの男性で、角ばった顔に無精ひげを生やした、山男の見本のような風貌だった。ザックの代わりに歩荷で使うような背負子を担いでおり、荷物には雨除けのブルーシートがかぶせてあった。シートは剥がれないようビニールひもで何重にも縛ってある。ワンデイの低山域には似つかわしくない装備だ。
「いえ、夜間ハイク見込みで歩いてるだけなんで、大丈夫です」
山男は無精ひげを撫でながら意外そうに目を丸くした。「相当の変わりモンだな、アンタ」
当然であるが、夜間ハイクは幾多の危険を伴う。道迷い、夜行性動物との遭遇、滑落など、リスクを数えだせば枚挙にいとまがない。積極的に習得して実践する技術ではなく、予定外のトラブルが起きた際の保険としてやむをえず行うものだ。そうした事情もあり、おのずから同族に出会う確率は低くなる。わたしたちは数奇な巡り会わせに喜びながら、しばし歓談を楽しんだ。
お互いに名乗りあったあと(男性は竹島と名乗った)、気分が乗ってきたのか、彼はこれは知り合いの山屋の話だが、と何度も前置きをしたあと、ある突拍子もないエピソードを披露してくれた。
* * *
竹島さんの知り合いの山屋――笹本さんとしておこう――は中学生のころに叔父の手ほどきで登山に目覚め、高校生の時分にはバイトで貯めた資金を使って国内の難ルートをあらかたクリアしてしまったそうだ。高校生の時点で穂高の屏風谷、槍ヶ岳北鎌尾根、南アルプスの北岳バットレスなどを制覇した早熟の天才であった由。
笹本さんの興味は自然と世界へ向かうことになる。ヨセミテのビックウォール、アイガー北壁、酷寒のマッキンリー、南米最高峰のアコンカグア、そしてヒマラヤ山脈の峨々たる8,000メートル峰――。挑戦すべき山は膨大で、現役でいられる時間はあまりに短い。先立つものの確保に苦心するのは想像に難くない。
日本でまともな勤め人になれば、大型連休はせいぜい夏と冬に1度ずつあるだけだ。6,000メートル以上の高峰に登るには高地順応が欠かせないため、予備日を含めれば最低でも1か月、ヒマラヤ山脈レベルなら3か月近い準備期間が必要となる。1年に半年近くも席を空ける人間を正社員として雇う会社は日本に存在しない。真正の山屋は必然的に生業を持たないフーテン者にならざるをえない。
ところがフーテン生活では収入が不安定になるので、あべこべに渡航費用の捻出に苦労することになる。実力(と交渉力)のある山屋はスポンサーを見つけて資金問題を解決できるが、そうでない者や企業の意向に山行計画を縛られたくない者は、個人でこれをクリアせねばならない。高層ビルの清掃など山屋に向いている仕事もあるにはあるが、ある程度収入が高いとはいえ所詮は非正規雇用である。シーズンオフ中に身を粉にして働いても、せいぜい遠征は行けて年に1度か2度が限界である。
笹本さんは特殊な仕事をすることで、この問題に決着をつけた。
それは〈死体遺棄を専門に請け負う〉というものであった。
* * *
殺人事件が露見して警察機構による捜査が始まる端緒となるのは、なにをおいても死体発見である。それがなければ失踪者は行方不明扱いになるだけで、大がかりな捜査はなされない。所轄の警察署に捜査本部が立って初めて、本格的な探偵仕事が始まるのである。逆説的に言えば、死体さえ発見されなければ殺人をなかったことにできる。
原則的に、殺人を犯した者はそれを隠匿したいはずである。〈暴力団が敵対組織の要人をヒットする〉といった特殊事例をのぞき、殺人が警察機構に把握されるメリットは見当たらない。当然殺人者の誰もがそれを回避したいのだが、死体の隠匿は想像以上に難しい。安直な場所に埋めれば目撃されるし、海に捨てても腐敗して浮き上がってしまう。バラバラに分解したとしても、パーツごとの隠し場所が増えることで露見リスクはむしろ高まる。
死体遺棄は殺人を隠匿するための、最初にして最大のハードルなのだ。
そうなれば経済原理的に、需要が発生する。需要が生まれればそれを満たす方向で供給が創出される。
こうして〈死体遺棄専門職〉が求められることになる。

























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。