消防団という組織をご存じだろうか。
人口密度の低い地方の過疎地では、どこも慢性的な消防署不足に陥っている。これを解消するため、田舎ではボランティアを募って消火活動を補助する一種の互助団体を作っている。これが消防団だ。
構成員は生業を持つ普通の勤め人だが、ひとたび火事が起きれば仕事中だろうが就寝中だろうがお構いなしに呼び出しがかかる。
消防団活動は消火だけにとどまらない。堤防決壊時の土嚢積み、行方不明者の捜索、操法大会の猛特訓、年末年始の歳末警戒、果ては夏祭りの交通整理にまで駆り出される。
団員同士の上下関係も非常に厳しく、先輩には絶対服従のウルトラ縦社会だ。巷間では昨今、パワハラが取り沙汰されているようだが、かの団体では入団1年目の者など虫けら同然の扱いをされる。
読者の考えていることはわかる。〈そんな組織に自発的に入る奴なんかいるわけがない〉。もちろんいない。入団を拒否した者に課せられる懲罰的な協力金、家族への村八分的扱いなど、田舎特有の圧力はすさまじい。入団は事実上強制だった。
前置きが長くなった。わたしが入団させられていた組織の概要は大意、上記の通りである。
* * *
わたしが20代で、まだ実家に住んでいた時代のことだ。もう15年ほども前の話になる。
ヤマヒルに煩わされた記憶がないのと、正確な日付けを訳あって記憶しているので、季節は11月の中旬で間違いない。残暑もすっかり鳴りを潜め、行楽に適したすがすがしい日和が続いていた。
三連休の中日にあたる土曜日の早朝、わたしは消防団からの招集を受けて地元の公民館に出頭した。集まった面々を見る限り、出席率は80パーセント程度か。休日としては破格の数値である。こういう面倒なお役目をサボると、あとでなにを言われるかわかったものではない。高水準の出席率は田舎特有の陰湿な人間関係に裏打ちされたものなのだ。
分団長は休日の足労に対して形ばかりの謝辞を述べたあと、本題に入った。
1週間前から近所の里山に入山したまま帰宅していない登山者がおり、警察と消防の手が足りないので捜索の協力を要請された由。ついては諸君にも助太刀してもらいたい、云々――。われわれは貴重な土曜休みを捜索に費やさねばならないことに不満たらたらだった。
正直に言って、よそ者が勝手に山へ登った挙句に遭難しようがどうしようが、地元民にとっては迷惑なだけだ。これが地域住民の偽らざる見解である。
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捜索現場は岐阜県揖斐川町と滋賀県米原市の県境付近。百名山の伊吹山(1,377メートル)から派生する標高1,000メートルそこそこの稜線で、地元では〈伊吹北尾根〉と呼ばれている。
伊吹山には毎年何千、何万人単位の登山者が、百名山の威光に惹かれる蛾のように押し寄せているが、北尾根への入山率は低い。そのぶん落ち着いて自然に触れることのできる、知る人ぞ知るマニアックなルートである。
われわれ消防団は提出されていた登山届をもとに、駐車場のある国見峠(840メートル)を起点として稜線づたいに捜索する計画を立てた。プランは以下の通りである。
A班:登山届の記載ルート 国見峠~国見岳(1,126メートル)~大禿山(1,083メートル)~御座峰(1,070メートル)~静馬ヶ原
B班:別ルート 虎子山(1,183メートル)~笹刈山(1,212メートル)~ブンゲン(1,259メートル)
C班:国見峠で有事に備えて待機
主力部隊のA班に多数の人員を割り振り、補助部隊のB班は少数で補完する二段構えだ。C班は肥満やケガなどの理由で山岳捜索が不可能な連中が割り当てられた。わたしはB班に配属となった。分団長以下のお偉方が公民館でお茶をしばいているのを尻目に、若者たちは乗り合わせで国見峠へ通じる曲がりくねった林道を走破、午前8時にはいっせいに入山した。
外せない用事で来られなかった連中もいたため(彼らは体育会系のノリについていけずに落伍した幽霊団員である)、われわれB班はたったの3人だった。鬼のようなお偉方や威張り散らした先輩もいない、消防団活動としては異例の緩い雰囲気だったのを覚えている。
メンバーはわたし、荒井、西田の3名。荒井も西田も小中学校が同じの顔見知りだったので、もはや捜索というよりハイキングのような気分であった。
伊吹北尾根はこの界隈に住んでいる地元民ですら、あまり足を運ばない静謐な山域である。かつて大垣労山が膨大な人足を投入して開いた本ルートも、伊吹山ドライブウェイの開通と同時にトレイルが車道で分断されてしまい、伊吹山への直登は法的に禁止されている。
いまでは訪れる者は物好きな一部の好事家だけだ。めぼしい山のない国見峠より北側の稜線となると、ピークシーズンである春秋でもすれ違う登山者は1人いるかいないか。わたしたちは森閑とした稜線を、木々に巻かれたリボンを頼りに歩いていった。そのころちょうど登山を始めたばかりだったわたしは、率先して2人を率いてリーダー気取りであった。
北側の稜線は1本道であり、捜索といっても藪を刈り払って作られた道をひたすら歩くだけだ。尾根芯をトラバースする不明瞭な部分こそあれど、迷い込むようなポイントは見当たらない。3人が目を皿のようにして探しているのだから、人1人倒れていればさすがに誰か気づいたはずだ。
国見峠から北上していくと、最初の1座目である虎子山(とらすやま)に1時間ほどで着いた。周りを丈の高い藪に覆われた地味なピークで、景色としての印象は皆無だったが、山岳名が独特である。「子」を「す」と読むらしい。
そのときは読み方を知らなかったので、3人で「やっと『とらこやま』に着いたな」と口々に漏らしながら、汗を拭いたのを覚えている。




























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