(ふうん、暗黙の了解ってやつか。もし警察に哀子さんの窃盗のことをチクったら、無理に町内会の役員にされたり、田圃の重労働を押し付けられたりするんやろうなあ。)
と、私は他人事のように思った。
補記すると、この哀子さんという人は70歳代だった頃は、その畑になっているものを根こそぎ奪うことはしなかった。複数の人の畑に白昼堂々と侵入し、そろそろ食べ頃になるものばかりくすねていた。また、ターゲットにする畑を頻繁に変えていた。
祖父母の畑の近くに哀子さんがいない日もあるが、そういう時は哀子さんはご自分の在所であるK地区内で盗みをしているらしかった。K地区でも、真昼間から哀子さんがよその畑でトマトやらスイカやら失敬しているのが目撃されているが、押し車をおしながら逞しく歩く彼女に声をかける人はいなかった。
私が大学を卒業した次の年に、哀子さんの旦那さんが永眠された。長年入退院を繰り返されていたが、仲睦まじかった夫を亡くした哀子さんは、たいへん心を痛めていたという。
哀子さんとは縁もゆかりもない私が、なぜここまで詳細を知っているかというと、祖父と仲の良い親戚の男性が哀子さんのお家の近くに住んでいたからだ。勿論、彼も哀子さんの窃盗行為の被害者である。
やがて、恐ろしい噂がJ地区とJ地区とに流れた。夜になると結構な頻度で、物が壊れる音、男女の怒号および悲痛な叫び声が哀子さんの家から聞こえてくるという。哀子さんの娘婿さんが、
「あんたは寡婦年金ももらっているんだろ!その分け前を孫の為にもよこせ!」
と、恫喝するのを聞いた人までいるらしかった。
ある晩、哀子さんが自宅であまりに号泣しているので、先述した私の親戚の男性が警察を呼んだ。
80歳を過ぎ、腰を曲げて歩くようになっても、哀子さんは畑荒らしをやめなかった。それどころか、うらなりのメロンや未熟なナスビまで盗んでいくようになった。多分、加齢に伴って体力が落ち、以前のように広範囲を歩けなくなったのだろう。私の祖母は、哀子さんが認知症ではないかと心配していたが、相変わらず誰もが見て見ぬふりをしていた。ある時、哀子さんがよその畑で熱中症になり入院すると、哀子さんの娘夫婦が小綺麗な服装のまま、お家の庭で口喧嘩をしていたという。
「今度は熱中症かよ、あのばばあ!また金がかかるじゃねえか!お前は自分の母親の面倒も見られねえのかよ!」
「うるさい、このカイショなしの穀潰し!あたしがこんなに働いてるのは誰のせいなのよ!」
と。
退院後も哀子さんはよその畑に勝手に入り、ジャガイモやらサツマイモやら掘り出しているのをK地区の人に見られている。
その翌年、真白い綿花のような雲が大群をつくり、澄んだ青空を泳ぐ頃、哀子さんの娘夫婦が警察で事情聴収を受ける事件が発生した――哀子さんがご自宅で独り、冷たくなっていらっしゃったのだ!それも警察が哀子さんを発見したときには、すでに死後二か月余りが過ぎていたという・・・・・・。90歳の生涯だった。
























哀子さんの娘さんの仮名は、当初「吾子(わが子)」にする予定でした。より読みやすくするために「アコ」にしました。
沈丁花です。一部誤字や分かりにくい表現がありましたので、修正・加筆しました。これまで読んでいただいた644名の皆様、大変失礼いたしました。誠に申し訳ありませんでした。もう、どうして私はこうもそそっかしいのかなあ・・・・・・。