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kanaさんによる都市伝説にまつわる怖い話の投稿です

8月21日の亡霊部隊
長編 2025/08/07 23:37 5,038view
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一木大佐の死因については確かな証言はありませんが、軍旗を焼いて自らも自決したと日本側の戦闘詳報には記録されています。実際には、米軍の容赦ない射撃の中でそのようなことをしている余裕などあるはずもなく、一木大佐も銃弾に倒れ戦死したというのが本当のところだろうと思います。ただ、作戦の失敗を現地部隊の一木大佐に全責任を負わせる方針とした大本営は、戦闘詳報にそのように記録したのでしょう。

また、当時の大本営は情報を封鎖していたため、彼らの敗北が日本国民に知らされたのは、なんと1年も後になってからでした。
その報に触れた旭川市民の間では「やっぱり・・・」という絶望の声が聞かれました。
1年前の8月21日、あの日あの晩にあった亡霊部隊の帰還に、誰もが無念さを抱きました。

・・・・・・・・・・・・

彼ら一木支隊はなぜ、亡霊となってまで旭川に戻ってきたのでしょう。
・・・実はひとつ、その理由となりそうな一件がありました。

精鋭部隊である一木支隊が選出されたのには訳があります。
それはハワイ諸島北西に位置するミッドウェー島の攻略作戦でした。

米軍の拠点であるミッドウェー島を攻撃すれば、かならず米空母部隊が出てくる。そこを日本の連合艦隊が打ち破る。と、簡単に言うとそのような作戦が立案され、海軍力だけではミッドウェー島攻略は難しいだろうと考えられたため、陸軍の精鋭部隊が用意されたのです。

ところが、このミッドウェー島攻略は日本の大敗北に終わります。
そもそも連合艦隊は主目的を米機動部隊撃滅と捉えていましたが、軍令部はミッドウェー島を占領して哨戒基地を前進させることを主目的としており、この作戦自体が主目的があやふやなまますすめられた経緯があります。

結果として、ミッドウェー海戦では日本側が空母4隻(加賀、蒼龍、赤城、飛竜)を始めとして、艦載機248機、戦死者3000人を超える損失を出し大敗北します。

この敗北は秘匿され、作戦に参加するために訓練地であったサイパンを出撃した一木支隊らも、攻撃中止命令とともに、グアムに一時待機させられます。一木支隊には海軍の敗北はまったく知らされず、一度日本に戻り、その後アリューシャン列島のアッツ島へ配置予定だと伝えられます。・・・しかしそのまま、一木支隊はグアムに2か月ほども滞在することになりました。

8月7日、一木支隊はようやくグアムを発って、サイパンを経由してから日本に向かうことになりました。・・・ところがここでまた作戦の変更が伝えられ、一木支隊は再びグアムに戻ります。

実は大本営ではアメリカとオーストラリアの連携を発ち、東部ニューギニアのポートモレスビー攻略をすすめようと計画していましたが、先のミッドウェーの敗北で空母を失ったため、その代わりとなる飛行場の建設を優先事項とし、ガダルカナル島に飛行場建設をおこなっていたのです。ここに航空戦力を持てば、空母損失の痛手を打開できると考えていました。
8月5日には、ガダルカナル島に飛行場がほぼ完成していました。

ところがそのたった二日後の8月7日、米軍部隊がガダルカナルに上陸、飛行場を占拠してしまいます。日本の飛行場設営部隊は戦闘部隊ではなかったため、簡単に奪取されてしまったのです。米軍は、航空隊の少佐の名を取り、ここをヘンダーソン飛行場として整備し始めました。

日本に向かおうとしていた一木支隊が再びグアムに戻されたのは、そんなタイミングだったのです。大本営は考えました。(飛行場を奪還するための陸上部隊の精鋭がすぐ近くに待機しているではないか。一木支隊をただちにガダルカナルへ出撃させよ、一木支隊ならば簡単に奪還することであろう)

一木支隊の兵士たちはいったい何を思っていたでしょう。一旦は日本に帰れるのだと、兵士たちは内心喜んでいたものと想像に難くありません。・・・しかしそんな気持ちも打ち砕かれます。「南東方面の作戦に従事させる」という内容の指示と共に再びグアム待機。

8月12日夕刻にはトラック諸島の泊地に到着し、ここでようやくガダルカナル攻略を命じられます。一木大佐は「何もせずにおめおめと日本に帰れるか!」と部隊を鼓舞したと言います。

8月16日朝にはトラックを出撃、8月18日夜にはガダルカナル島に到着します。
一木支隊は軍旗護衛小隊に軍旗を守らせながら、弾薬250発、糧食1週間分だけを携行して、飛行場奪還へ向けて行軍していきます。これは一木支隊が米軍の飛行場守備隊は2000人足らずで、一木支隊ならば奇襲をかけてあっという間に撃退できると踏んでいたためです。
ところが実際には米軍は海兵隊を中心に1万3000人の兵を配置し、戦車部隊も上陸させていました。また島内には監視員や諜報部隊、さらには集音マイクまで設置され、一木支隊の行動は筒抜けだったのです。

8月20日、一木支隊はエドウィン・ポロック中佐率いる第1海兵連隊第2大隊とイル川西岸にて戦闘になります。一木支隊は頑強に設置された米軍陣地を突破することができず、さらに集中砲火を浴びて兵力を消耗していきます。イル川東岸に一時退避するも、今度は米戦車部隊が投入され、東南から襲い掛かります。一木支隊は袋のネズミ。どこに逃げることもできず、
8月21日15時頃、死者777名、負傷兵15名を出したところで戦闘は終了します。

ガダルカナル島に上陸して、たった5日目には部隊全滅の憂き目にあったのです。
本来ならば、今頃はもう日本に帰還していたかもしれないのに・・・です。

望郷の念を抱きつつ、南洋の島で息絶えることになった彼らの無念が、
亡霊部隊となって旭川に帰還したのかもしれませんね・・・。

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