貰ったぬいぐるみのこと

娘が言うにはその女は1度も見た事のない全く知らない人で、年齢は高校生位のおねえちゃん、だそうです。

そんな日々が続いたある平日の昼下がり、私は1人掃除機をかけながら娘をどこのクリニックにカウンセリングに連れて行こうかぼんやり考えていると、娘のベッドに置いてあるあのウサギのぬいぐるみが目に入りました。

いつも娘と一緒に寝ているその大きさ30センチ程のぬいぐるみは私達の直面している問題なんてどこ吹く風のように、相変わらずとぼけたような顔をしています。

思えばこのぬいぐるみが我が家に来た後から娘に異変が起こり始めました。

何となく手に取り、裏を見ると背中はマジックテープになっていて、そこから黒い毛の様な物が一本はみ出ているのに気づきました。
嫌な予感がしてマジックテープをベリベリ剥がすと、中には綿の代わりに大量の髪の毛がみっしりと詰め込まれていたのです。

「ワッ」と短い悲鳴をあげ、暫く絶句した後、すぐにスーパーのビニール袋にぬいぐるみを突っ込み、家からなるべく離れた場所に捨てようとサンダルを突っ掛けて玄関を飛び出すと公園に向かい、そこのゴミ箱に放り込みました。
帰って来て手を入念に3回洗ったのを覚えています。

一体どういうことか問い詰めようとSさんに連絡しましたが、音声ガイダンスが流れるだけで一向に繋がりません。
Sさんから聞いた引越し先の住所を調べた所、存在しない架空の地名でした。

結局、あのぬいぐるみに入っていた髪は誰の物なのか。
娘の夢に出て来た傷だらけの女の髪ならばあの女はどこの誰で、そして娘に対して手を合わせて一体何を祈っていたのか。
そしてSさんは何の恨みがあって、このような呪術めいたことを娘に対してしたのか。

為す術もなく、これらの真相は闇の中に永遠に葬られてしまいました。

…いえ、最後のSさんの動機についてだけは、実は心当たりが全く無いわけではないのです。

Sさん夫妻には子供がおらず、それはSさんが不妊症だからと聞いていました。
不妊治療も効果は望めないらしく、だからSさんの私の娘を見つめるその瞳には羨望だけではなく、暗い妬みの色も多分に混じっていたと考えるのは、私の捻くれた邪推でしょうか。

あのままぬいぐるみの中身に気付かず過ごしていたらどうなっていたか……

ぬいぐるみが居なくなり娘はとても悲しんでいましたが「ウサギの国に帰ったんだよ」と宥めて、なんとか納得してくれた様です。

ともあれ、ぬいぐるみが居なくなってから娘の症状は嘘のようにぱったりと消えました。

自傷行為も悪夢を見る事もなくなり、かつての元気な娘の姿が帰って来た時の安堵感といったら、まさに筆舌に尽くし難いとしか言えません。

現在、娘は小学一年生になりました。
友達もでき、授業にもついていけているようで、親としては一安心です。

ただ一つだけ、娘の行動で気になっている事があります。

それは娘が刃物に執着を示し始めたことです。

娘のいない時に学習机の引き出しを開けた事があり、中にはハサミ、カッター、彫刻刀等が、十数本は入っていました。
殆どは学校の備品の様ですが夫が使うカミソリの刃もありました。
どういうつもりか娘に問いただすとただ欲しかったから持って帰っただけ、との返事でした。

9月、娘の誕生日がありました。
娘は包丁を欲しがりました。
私は娘を初めて叩きました。