当店の予約席
投稿者:件の首 (54)
私は居酒屋を個人経営している。
4席のカウンターとテーブル席が1つの狭い店だ。
起業のきっかけは、妻の病気だった。
結婚して10年で妻は、若年性の認知症を発症した。そして徐々に家事も出来なくなっていった。
当時サラリーマンだった私は、役職を返上して家に早く帰るようになった。
学生時代に居酒屋でバイトをしていたので、料理はそれなりに出来た。
それを嬉しそうに食べる妻を見ながら、
「自営で居酒屋をやれば、妻に手の届く場所にいられる」
そう考えるようになり、開業を決意した。
準備を進め、退職に合わせた開業当日。
妻はベッドから起き上がる事が、出来なくなっていた。
私は初日の営業の翌日には無期休業を決め、妻の介護に専念した。そして一年足らずで妻は世を去った。
妻の告別式の翌日、私は再開させた。
妻の49日の法要の翌日、売上げを数えた時、ふと違和感を抱いた。
思ったよりも売上げが少ない。
客単価と記憶にある客数を計算するとどうも数字は合わなかった。次の日も、その次の日も、売上げは少なかった。
数日が過ぎ、ふとオーダーが途切れ、手が空いた。
私は改めて、客を数えてみた。
テーブル席に団体が3人、カウンターに個人で4人。伝票は4枚。
「……?」
1グループ分伝票が足りない。
改めて埋まっている席を数える。
「……あれ」
私に一番近い席が、空いていた。
ふと。
ずっと忘れていた事を思い出したような気分になった。
その席は。
客が座った事は、一度もなかった。
だが、その空席には気配があった。
その懐かしい気配は、妻だった。
見える訳ではない。
声が聞こえる訳でもない。
何故だか、いることが分かった。
あなたの優しさに、亡くなられた奥様は幸せでしたね。
ご冥福をお祈りします。