手だけの幽霊「手村」さん

数年前に勤めていた職場には、ある噂がありました。
それは「手だけの幽霊が出る」というものです。
10～20年前くらいに亡くなった社員の幽霊で、職場に未練があるから未だに出るんだろうと言われていました。
同僚の中には手だけの幽霊を見たという人がたくさんいて、私も見たことがあります。
本当に肘から手の平までの手だけで、色白で手首が細く、爪の形から何となく女性の手なのかなと思ってました。

普通だったら、手だけだとしても職場に幽霊が出るなんて怖いし、気味が悪いですよね。
でも手だけの幽霊を歓迎する社員は結構いました。
その理由というのが、仕事を頼んだら手伝ってくれるからです。
例えば「電気点けてほしい」と言うと、カチッというボタンを押した音の後、フロアの電気が点くんです。
他にも、「○○の資料どこだっけ」と言いながら探していると、目的の資料がいつの間にか机に置かれていたという人もいました。
手だけが視界に入ると一瞬びっくりするけれど、怖がらせたり驚かせるようなことはしてこないし、むしろとても親切なので、手だけの幽霊は「手村（てむら）さん」と呼ばれ、ひっそりと社員の間で親しまれていたんです。

幽霊に良い・悪いがあるかは分からないですが、手村さんは明らかに良い幽霊に属すると思います。

でも、幽霊は幽霊で、やっぱり怖いなって思う出来事がありました。
私の勤めている職場には、パワハラ男性社員がいたんです。
パワハラ男性社員はとにかく態度がでかくて、自分のお気に入りの女性社員は贔屓するし上司には媚びるのに、自分より下に見ている社員に対しては横暴な態度を取ります。
私も他の社員も、何度も上司に掛け合って「パワハラ男性社員を辞めさせてほしい」と訴えたのですが、聞き入れてもらえませんでした。
どうやらパワハラ男性社員は社長の縁者らしくて、社長が辞めさせようとしないんですよね。
私もパワハラ男性社員の標的になってしまい、毎日精神的に辛くて、無断欠勤して無理やり仕事を辞めてやろうかなんて考えることもありました。

パワハラ男性社員に対して、他の社員の中でじわじわと恨みが積み重なっていって、いつ爆発してもおかしくなかったです。
そんな時、ある女性社員が無断欠勤をしました。
その女性社員は、パワハラ男性社員にとくに強い態度を取られていた人です。
「そりゃ、あれだけ虐められたら、会社に来たくなくなるよね」って、社員のほとんどは思っていて、無断欠勤した女性社員を責める人はいませんでした。

でも、パワハラ男性社員は、女性社員が無断欠勤したと知ると、仕事中にも関わらず業務を放置して、会社の電話で女性社員の家に電話をかけ始めたのです。
何度かけても電話がつながらないことに、パワハラ男性社員は段々イライラし始めましたが、誰もそれを注意したり止めたりしません。

上司もパワハラ男性社員のことはいつも見てみぬふりをしていたので、その時もさーっと自分だけフロアを出て違う課に行ってしまいました。
パワハラ男性社員の取り巻きも、尋常ではないその態度に引いていて、誰も近づこうとしません。
するとパワハラ男性社員は椅子から立ち上がり、「おい！あいつ（無断欠勤した女性社員）の家知ってる奴いるか！？今から行くぞ！仕事を舐めてやがる、引きずってでも会社に連れてきてやる！」と言いました。
緊急連絡先の名簿ならばあるとは思いますが、パワハラ男性社員の言っていることは明らかに常識を超えた行動で、誰も名簿を持ってくるとか、住所を知っているから案内するとか言い出す人はいません。
すると、パワハラ男性社員は皆の態度に更にイライラしたのか、今度は私達を標的にして、罵声を浴びせはじめました。

聞くに堪えないパワハラ男性社員の言葉に辟易して、話しを聞き流していると、急に「ぐぇっ」という息が詰まったような声が聞こえたのです。
何事かと思ってパワハラ男性社員を見ると、床に倒れ込んでいました。
そして、パワハラ男性社員の立っていたあたりには、いつの間に現れたのか手村さんがいたのです。
「だ、誰だ！俺を押した奴は誰だよ！くそ！舐めやがって、くそ！」
パワハラ男性社員はすぐに起き上がって周りを見渡しますが、皆、パワハラ男性社員から距離を取っているので、背中を押せるはずありません。
パワハラ男性社員には手村さんが見えていないみたいで、怯えたようにキョロキョロと周りを見たあと、いつも見下している社員に近づこうとしました。
すると手村さんがまたパワハラ男性社員の背中を突き飛ばしたのです。