ある雨の降る深夜、男Aは、人通りの途絶えた山道のバイパスを一人で走らせていた。時刻は午後11時を過ぎた頃。ラジオからはノイズ混じりの音楽が不気味に流れていた。
ふと、Aはバックミラーに違和感を覚える。
いつの間にか、一台の古びた黒い軽自動車が、ピタリと背後に張り付いていたのだ。車間距離はわずか数十センチ。眩しすぎるほどのハイビームが、Aの車内を真っ白に照らし出す。
不快に思ったAは、アクセルを踏み込んで引き離そうとした。しかし、後ろの車も全く同じ速度で加速してくる。ウィンカーを出して車線を譲ろうとしても、まるで影のように車線を変更し、ぴったりと後ろにつきまとってくる。
プッ、ププーーッ!
鋭いクラクションの音が夜の静寂を切り裂く。何度も繰り返される狂気じみたパッシング。逃げ場のない真っ暗な山道で、Aの心臓は早鐘のように打ち鳴らされた。
「なんだよ、アイツ……っ!」
焦りと恐怖で冷や汗を握りしめながら、Aは赤信号で停車した一瞬、意を決してバックミラーを固く睨みつけた。激しいハイビームの光の奥、後ろの車の運転席へ視線を走らせる。
……そこにいたのは、奇妙な男だった。
雨が叩きつけているというのに、運転席の窓は全開。男は焦点の定まらない眼球を今にもこぼれ落ちそうなほど見開き、狂気じみた笑みを浮かべながらハンドルを握りしめていた。
そして何より異様だったのは……その男の顔の右半分が、原形をとどめないほど押し潰されていたことだ。
さらにAはある異常な点に気づき、全身の血がスーッと引いていくのを感じた。
後ろの車から、エンジンの音が一切聞こえない。排気ガスすら出ていない。ただ滑るように、まるで地面から浮いているかのように追尾してくるのだ。
恐怖が限界に達したAは、信号が青に変わると同時にアクセルを踏み込んだ。しかし、後ろの車はあり得ないスピードで加速し、ついにAの車の側面に並びかけた。
ギギギギ……と、車体同士が擦れ合う不快な金属音が夜の闇に響く。
恐怖に震えながら助手席の窓に目をやったAは、息を呑んだ。隣を並走する車の窓から、あの潰れた顔の男が首を突き出し、Aの顔をじっと見つめていたのだ。
動かないはずの歪んだ唇が、ぐにゃりと動いた。
『……なんで……あの日……止まらなかった……?』
その声は、エンジン音のない車内、そして閉め切ったAの車の窓ガラスを透過して、直接頭の中に響き渡った。
その瞬間、Aの脳裏に半年前の雨の夜の記憶が鮮明に蘇る。
暗い山道でハンドル越しに手に残った、生々しく恐ろしい衝撃の感触。フロントガラスに飛び散った血。パニックになり、警察にも通報せず、そのままアクセルを踏み込んで逃げ去ったあの夜のこと……。
『見つけたぞ……逃がさない……』
ぬっと伸ばされた男の手が、Aの助手席の窓ガラスにベタリと押し当てられた。
バイパスの闇の中に、Aの絶望的な叫び声が響き渡った。
「悪かった……もうやめてくれぇっ!」
恐怖と罪悪感でパニックに陥ったAは、目の前が真っ白になりながら、ただひたすらにアクセルを踏み込み続けた。
どこをどう走ったのかも全く分からず、ただ恐怖から逃れるためだけにハンドルを握りしめていた。
……そして気がつくと、あたりはすっかり朝になっており、車は警察署の駐車場に停まっていた。

























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