鉄の檻
投稿者:やうくい (37)
私が小学生の頃、祖母の家にはとても大きな蔵があった。扉には頑丈な南京錠が掛かっていて、興味はあったが入ることはできなかった。
12月のある日、何年かに一度することになっている、蔵の煤払いに私も初めて参加することになった。親戚が総出で集まり、中のものを運び出して埃などを拭いたりする。高そうな壺やら戦時中に使われたのであろう軍服などが出てきて、同じように初めて参加した2歳年上の従兄弟とはしゃいだのを覚えている。ひと通りものを運び出したところで、蔵の中を箒で履く作業に入った。
蔵の中はとても広く、天井も高い。そして、なんとも言えない古いにおいがした。中を見渡していると、頑丈そうな鉄の檻が、蔵の片隅に置かれているのを見つけた。大きさ的に、熊でも入れていたのかと思うほど立派なものだった。流石にこれは重すぎて運び出せなかったのだろう。しかし、古いものであろうその鉄の檻は定期的に手入れされているようで、錆ひとつなく鈍く光っていた。
蔵の外に出て、祖母に檻のことを尋ねてみると、それまで明るかった祖母の表情が、ふと暗くなった。そして、低い声でこう言った。「あの檻には入ってはいけないよ。入ってたものが、今も残ってるかもしれない。」
祖母の真剣な表情を見て、まだ幼い私でも本当に近づいてはいけないのだなと分かった。
その後、煤払いは何事もなく終わり、忙しい親戚たちや両親は家に帰って行った。小学生の私や従兄弟は冬休みに入っていたため、年末まで祖母の家で泊まる事になった。
祖母の家には遊び道具などほとんど無かったが、兄弟のいなかった私は従兄弟と遊ぶのが心底楽しく、丸めた新聞紙でチャンバラをしたり、大きな祖母の家でかくれんぼをしていれば、いくらでも遊べた。
ある日のこと、いつものようにかくれんぼをしていた私は、家の中をいくら探しても従兄弟を見つけられなかった。ある程度探した私は降参し、従兄弟に参ったと呼びかけた。耳を澄ましてみると、庭の方から小さく従兄弟の声が聞こえてくる。
庭に出た私は驚いた。蔵の扉が開いている。南京錠が掛かっている上、小学生が開けられるような重さの扉ではない。それに、この家にいる大人は、今は買い物に行っている祖母だけのはずなのだ。
驚いていると、蔵の中から従兄弟の声が聞こえてきた。
「おーい、出してくれ!」
中を覗いてみると、従兄弟があの檻の中に入っている。いつもは気丈な従兄弟の顔は涙と鼻水でくしゃくしゃだった。
「蔵の扉が開いてたから中に入ったんだけど、檻の扉も開いてたから、試しに入ってみたんだ。そしたらこの扉、急に閉まってびくともしない!」
不安になった私だが、檻には近づきたくなかった。入口から祖母を呼んでくると伝えて、全力で近くの商店街へ向かった。幸いすぐに祖母は見つかったため、従兄弟のことを伝えた。伝えた途端、祖母の顔色は真っ青になり、ものすごい速さで私を連れて家に帰っていった。
家に戻り、すぐに蔵へ向かった。しかし、檻の中にいるはずの従兄弟はいなかった。祖母は膝から崩れ落ち、啜り泣き始めた。
「近くの交番に行って、おまわりさんを呼んできてちょうだい…」
そう言われた私は、急いで交番に向かった。
それからは色々な人に質問攻めにされ、何度も何度も同じことを聞かれ、記憶が曖昧だ。
後になって知らされたが、警察が懸命な捜索をしたにも関わらず、従兄弟は見つからなかったそうだ。
祖母はあの日以来、ぼーっとすることが多くなり、次の年の冬に亡くなってしまった。
祖母の家は売りに出され、跡地にはアパートが建ったらしい。
あの時、従兄弟と檻の扉を開けていれば、こんな事にはならなかったのだろうか。
従兄弟に、檻には近づくなと伝えておけば、従兄弟は居なくならなかったのだろうか。
悔やんでも悔やんでももう遅かった。
あの檻は、どうなったのだろうか。
祖母の言っていた、檻に入っていたものとは。
私は今でも分からない。
いいね、こわかった
解説とか考察が一切ない方が不可解な感じがしてやっぱ怖いな
真相気になる