これは私がまだ小学校低学年くらい年齢だったと記憶しているが、とても寒い夜だったという事ははっきりと覚えている。
いつもの様に両親のベッドの隣に置かれていた自分のベッドに潜り込み、横になっていた私はその日なかなか寝付けずにいた。両親の寝息と時計の秒針の音が耳障りに感じ、数度寝返りを打った後布団の中に潜り込んだ。
多少息苦しさを感じたが目を閉じていると、ゆっくりと眠気が押し寄せてくる。どれくらいの時間が経過したのだろうか。気がつくと私は真っ暗闇の中、永遠と広がる草原の上に立っていた。
美しい緑広がる草原とは程遠い、とてもこの場に合っているとは思えない場違いな真っ赤な彼岸花が咲き乱れる草原からは、美しさとはかけ離れた不気味さが漂っていた。
人の吐息の様に生暖かく湿った風が彼岸花を揺らし、私の頬を撫でて流れて行ったその時。
「ぎゃああ!」
彼岸花の咲く草原以外何も見えない暗闇の中から、突然女の子とも獣とも取れる甲高い叫び声が響き渡った。
断末魔にも似たその声に足がすくみ、しばらくその場から動く事が出来なかったが、その声は少しずつ通常の人間の様な悲しみに満ちた泣き声へと変化していき、私はその声のする方へと何かに導かれる様に歩いて行った。
彼岸花を踏まない様に気をつけながら一歩一歩と歩み続ける中、相変わらず泣き声は暗闇の中、悲しげに響き続けていた。幼い子供が母を探す様な悲しげな泣き声。少しずつ近付いてくるその声は、私を呼んでいるものの様に感じられ、知らず知らずのうちに早足へとなっていった。
彼岸花の咲き乱れる草原をしばらく足早に歩き続けた。この泣き声の主はもう目の前まで迫っていた。闇の中から薄らと人のシルエットが浮かび上がり、偶然にも雲の隙間から顔を出した月がその泣き声の主の姿を映し出した。
真っ赤な彼岸花に囲まれたその少女は、花柄のワンピースを着ていて、真っ黒で綺麗なストレートロングの髪の上に少し小さい麦わら帽子を被り、ワンピースから伸びた腕は透き通る様に白く、その白い手で顔を覆い泣いている姿は、この不気味な空間には似つかわしく無いとても美しい姿に見えた。
「どうして泣いているの?」
私の突然の問いかけに驚いたのか、少し体を揺らした後、ゆっくりと両手を顔から離した。
「……私の事が分かるの?」
そう言い私と目を合わせた少女の瞳は、ハンマーで叩きつけられたビー玉の様に中央から放射状にひび割れていて、そのひびからは血なのか涙なのかよく分からない赤黒い液体が噴き出し頬を伝って流れていた。
更に言葉を発している口からは涎なのか蜜なのか分からない黄色い液体が垂れていて、その液体に蝶や蠅、他にも小さな大量の虫が群がっていた。
私は少女の顔を見た瞬間、声にならない叫び声をあげ腰を抜かしその場に尻餅をついてしまった。
「ねぇ?私の事分かるんでしょ?」
何の事を言っているのか理解出来ないが、少女はその不気味な顔を私の顔に近付け、そう言いながら怯える私の口に右手を無理矢理突っ込んできた。
口の中に生肉の様な生臭さと錆びた鉄の様な匂いが広がり、少女の手から謎の塊が口内に放たれたのが分かった。
口の中に放たれた謎の塊は凄まじい生臭さを放ち、苦味と錆びた鉄の匂いに満たされた口内は、すぐにその物体を吐き出そうとするが、少女は子供とは思えない力で私の体を押し倒しほぼ馬乗りに近い体勢でその塊を喉の奥へと押しやってくる。
私は涙を流しながら飲み込まない様にえずいていたが、私のその姿を見て少女は更に顔を近づけ、再び涙なのか血なのか分からない液体をひび割れた瞳から零しながら泣き叫び始めた。
少女の瞳や口から液体が私の顔へと滴り落ちて来るのが分かり、思わず息の呑んだタイミングでその謎の塊も飲み込んでしまった。その塊は卵くらいのサイズだと思っていたのだが、喉を通り抜けて行くときは驚くほど小さく飴玉程度のサイズになりゆっくりと喉を通り胃の中へと落ちて行った。
少女は私の口から右手を引き抜くと嗚咽を漏らしながらゆっくりと深呼吸を繰り返し、立ち上がるとしくしくと泣きながら闇の中へと消えて行った。
少女の口からは甘い樹液の様な匂いが漂っていた。その口から私の顔に落とされた液体も似た様に甘い匂いを発しているのだろうか、顔の上で無数の虫が蠢いている様な気がしたがそれを払い除ける元気はもう無かった。
分厚い雲が月を覆い隠し再び辺りは闇に包まれ、真っ赤な彼岸花が目の前で不気味に揺れていた。飲み込んでしまった謎の塊のせいなのか分からないが体を起こす力も入らず、私は眠る様に目を閉じた。
再び目が覚めた時、私は自分のベッドの上にいた。
風邪を引いた時のような喉の痛みを感じ、微熱だが発熱もしていた為その日は学校を休んだ……怖い夢。で片付けてしまうにはあまりにもリアルな夢だった。
一度限りの夢。だと思っていたが、私はこれから高校を卒業する辺りまで定期的にこの少女の夢を見る事になる。

























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