身元が知れるのを避けるため、一部フェイクを入れます。これは私が中学生の時に、本当に体験した話です。
私は中部地方の農家の生まれである。両親は共働きで、同じ敷地内に父方の祖父母が住んでいた。
子供のころ、私は夏休みが好きだった。学校で大量に出される宿題にはいつも悩まされたが、嫌な同期生に会わず、自由に過ごせるのが嬉しかった。祖父母の作る、甘いスイカやトウモロコシ・ウリなどが夏の贅沢なオヤツだった。
ただの胸の高鳴りか、それとも本当に目に見えぬ愛らしい存在が、私のすぐ近くに現れるのか。
8月5日を過ぎる頃から、清らかな和装の女性の妖精が、お盆を迎えるために軽やかに、リズミカルな踊りを踊っているのを今でも感じる。
中学一年のお盆前も、これまで通りだった。しかし、その年の「ボン」は30年以上経っても忘れられないほど特異なものになった。
それまで私は、自分に霊感があるとは全く思っていなかった。幽霊の存在は信じていたが、自分には絶対に見えないと信じ込んでいた。
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その年のお盆も、いつも通り祖母と一緒に父方の先祖の墓参りをした。墓地は家から歩いて10分くらいの距離にあり、田畑のど真ん中にどっしりと腰を下ろしている。収穫の秋に向かって、黄色がかってきた稲穂が会釈しているなか、重厚感のある灰色の石垣と石碑の頭部が見える。
おそらく16時頃だったと思うが、墓地から少し離れたところを近所の女の子が犬を連れて散歩していた。彼女は私の遠縁にあたり、私よりも2歳年下である。彼女をここではAちゃんと呼ぶことにする。
軽自動車が一台通るので精いっぱいの狭い道を、Aちゃんは犬と走っていた。その道はやがて、大きな用水路に沿ったやや狭い道と交わる。
祖母と私もAちゃんと同じ道を歩いて、墓地についた。
父方の祖先の墓参りは小さい頃から年に何度もしているので、よく慣れている。いつも通りに萎れた花と腐敗した水を捨て、新しい花と清潔な水を花立の中に入れる。驚愕すべきものをみたのは、その後だった。
私がふと後ろを振り返ると、上記の用水路と交わる道に向かって、Aちゃんが一人で犬と小走りをしていた。だが、彼女を追いかけているのか、いつの間にか知らない小さな女の子が歩いていたのだ。
Aちゃんにはお兄さんはいるが、姉妹はいない。あの女の子は、Aちゃんの家に遊びにきた親戚の子だろうか。私はそう思い、ご先祖の墓所の草むしりをしている祖母に話しかけた。
「なあ、おばあちゃん、Aちゃんの後ろを歩いとるあの女の子、誰かなあ?親戚の子かなあ?」
しかし、祖母はAちゃんの方を見て、素っ気なく答えた。
「何、言ってるの。Aちゃんの後ろには誰もおらんよ。」
―ええ?確かに幼稚園の年長さんぐらいの女の子が、歩いているのに?―























作者です。最初の主題【血筋の証明】は「共鳴」でもよいかと思い、副題を設けました。