最初は放っておいたが、数週間に及ぶ嫌がらせに、段々と苛立ちが募ってきた。
ある日、私は教室で前方の席に座るA子の姿に気が付いた。講義など聞きもせず必死に鏡を見ながらメイクに勤しむその後ろ姿に向かって、私は(調子に乗るなよ)と心の中で恨み節を吐いた。
誓って言うが、他人に対してそんなことを思うのは、生まれて初めてのことだった。
その瞬間、A子は突然座席から立ち上がり、大声で雄叫びの様な奇声を発しながら外へと飛び出した。教室内は唖然としていた。その後A子がどうなったかは知らない。大学で見なくなっただけでなく、A子の取り巻きたちも含め誰も彼女の話をしなくなったからだ。
A子がいなくなると、私に対する嫌がらせはピタリと止んだ。
それから何度か、私の身の回りでは奇妙なことが起きた。
アルバイト先でしつこくボディタッチ(今なら当たり前にセクハラ認定されるだろう)をしてくる店長に向かって頭の中で悪態をついた数日後、その上司は後ろ盾の反社との間で何らかのトラブルを起こしたらしく、姿を消した。店には何事もなかったかのように新しい店長が就任した。
客の中に、しつこく連絡先を聞いてくる中年男性がいた。どこかの社長だか役員だという話だったが、生理的に嫌悪感しか湧かなかった私は心の中で「死ねばいいのに」と呟いた。翌日、その客が交通事故で亡くなったそうである。
これらの出来事は、偶然と言えば片づけられるものだろう。しかし生来小心者の私は「これは祖母から貰った神様のお陰だろうか」と思い、段々と怖くなってきた。どんなに気に入らない相手とは言え、自分の前から姿を消すだけならともかく、死んでしまうのはやはり後ろめたい。
私は、滅多なことでは他人を恨んだり呪ったりするのはやめようと心に誓った。
大学卒業後は都内のそこそこの企業に就職し、そこで出会った男性と結婚した。数年後には娘が生まれた。夫は娘を非常に可愛がったが、私はどうも実感が湧かなかった。勿論お腹を痛めて産んだ我が子なのは頭では理解しているのだが、赤の他人としか思えなかった。
それでも私は、世間一般に求められるであろう母親としての役割を、淡々とこなした。
その娘が、高校卒業と同時に十八歳で子供を産んだ。相手の男とは籍を入れず、実家である私たちの家に転がり込む形での出産だった。私は四十代半ばにして祖母となった。
病院の新生児室のガラス越しに、生まれたばかりの孫娘の顔を見た瞬間、私は衝撃を受けた。
娘の誕生時には感じなかった、この子こそ私の全てを与えても惜しくないという気持ちが湧き出てきたのだ。
同時に、三十年近く前の祖母とのやり取りを思い出した。
「この人になら神様をあげていいと思った時だけ、譲ってあげなさい」という言葉の意味を理解した。祖母にとっての私がそうであったように、この孫娘こそが「神様」を譲るべき者なのだ。
それと同時に、人生で初めて使命感のようなものが私の心を支配した。この子が神様の持ち主になるまで、私ができることは何か?それは、この子を幸せにするための財産を築いてやることに他ならない。私は十数年ぶりに、鞄から取り出した板を強く握りしめた。
しかし、これと言った特技も資格もない専業主婦の私に、何ができるだろうか。そう自問したとき、手の中の木の板がじんわりと熱くなった。
まだ神様の持ち主は私だった。神様さえいれば何でもできる。私を遮る障害を神様に排除していただき、金を呼び込むのだ。私は祖母から受け取っていた数百万円を元手に、金融取引を始めた。詳しいことを言うのは憚られるが、様々な手を使い、人間を使った。その結果、面白いように金が集まってきた。
その頃から資産が増えるのと反比例して、ただでさえ冷めつつあった夫や娘との関係はさらに冷え込んでいった。彼らが私を金の亡者と蔑んでいるのも知っているが、そんなことはもうどうでもいい。
携帯電話を取り出し画面を点灯させると、待ち受け画面にしている孫娘の寝顔が映される。
それを見る私の心は、幸福で満たされるのだ。
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娘のことを愛することができないという母親は、一定数いる。由香さん(仮名)もそんな一人だ。
前述の話は、由香さんの母親が亡くなる直前、由香さんと二人きりになったときに懺悔するように語ったという半生の告白らしきものだ。
その告白を聞く前から、由香さんは母親に愛されていると感じることができなかった。それだけに、自分に子供が出来たら、目いっぱい愛そうと思ってきたそうである。
しかし今年で十歳になる娘さんのことを、どうしても愛することができない。むしろ怖いのだという。
ガラスで隔てられた隣室でカウンセラーと話す娘さんの手には、入室してきたときから、薄汚れた木の板が大切そうに握られていた。




























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