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不思議体験

志那羽岩子さんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

電話のうしろ
短編 2026/03/25 10:25 229view

深夜二時、古本屋のシャッターを閉めたあとで、店の電話が鳴った。

この店に固定電話を残しているのは、店主の老人の趣味だった。携帯で十分な時代に、黒くて重たい電話機がレジ横に置いてある。その古臭さが店の空気に合っていたし、何より「夜中に鳴る電話には、ろくなものがいない」と笑っていた老人は、そういう不吉さごと気に入っていた。

その老人が死んだのは、三日前だった。

脳梗塞。朝、店を開けに来た孫が、バックヤードで倒れているのを見つけた。俺は近所の手伝いとして、その日から店じまいの整理を任されていた。遺族だけでは手が足りない。蔵書の仕分け、帳簿の確認、価値のある本の選別。面倒だが、静かな作業ではあった。

ただ、店内の空気だけが妙だった。

古本屋独特の紙と埃と湿気の匂いに混じって、たまに生臭いような、ぬるい臭いが漂う。配管だろうと思った。老人が倒れた場所が店の奥だったから、気味悪さも勝手にそこへ結びつけていた。

電話は五回鳴って、切れた。

俺は受話器を見たまま動かなかった。遺族から聞いている。老人が死んだあと、この店の電話に無言電話が何度もかかってきているらしい。出ても何も聞こえず、しばらくすると切れる。いたずらだろうと誰も相手にしていなかった。

また鳴った。

今度はすぐ取った。変な間を空けるほうが嫌だった。

「はい、青林堂です」

雑音だけがした。

ザー、という遠い雨音みたいな音。その奥で、何かが擦れている。布か、紙か。しばらくして、声がした。

「……棚の、いちばん下」

男とも女ともつかない、乾いた声だった。

「は?」

「棚の、いちばん下を見ろ」

そこで切れた。

店の中は静かだった。通りの街灯がガラス越しに差して、背表紙を青白く並べている。俺はしばらく電話を握ったまま立っていたが、結局、馬鹿らしくなって本棚を見に行った。

文庫の棚のいちばん下には、落ちた栞や値札の切れ端が詰まっていた。手を突っ込むと、埃の中から一冊の薄い大学ノートが出てきた。黒ずんだ表紙に、老人の字でこう書いてある。

『さわるな』

冗談にしても趣味が悪い。

だが、開いた。

中身は日記だった。ただし文章ではなく、日時と、客の名前らしいもの、それから一言の繰り返し。

五月十二日 田中美代 まだ立っている
五月十五日 佐伯 窓の外
五月十九日 不明 レジ横
五月二十二日 遠藤 天井

意味がわからない。ページをめくるたび、名前と場所が増えていく。ページの後半に入って、やっと文章が出てきた。

『見えるようになる順番がある。最初は気配だけ。次に位置がわかる。最後に顔を見る。顔を見たら、向こうもこちらを見る。』

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