――或る古村に関する筆録
私がその話を聞いたのは、もう十年も前のことであった。
勤め先の用向きで中国地方の山村を廻っていた折、ある旧家の老人から、ぽつぽつと語られた話である。名前も地図もすでに消えた村の話で、記録の裏も取れず、実のところ真偽の程はわからない。
だが、その語り口に嘘臭さはなかった。
あるいは、彼が語っていたのは「嘘」ではなく、「忘れてしまってはならぬもの」だったのかもしれぬ。
この稿は、当時の聞き書きにいくばくかの調査と補筆を加えたものである。
その村は、かつて「**県**郡」に属し、山間の奥にひっそりと存在していたという。いまでは名前も残っていない。地図上のどの記録にも該当がない。航空写真には森しか写っておらず、村落の痕跡すら見つからない。
「道がなかったんですよ」
と、老人は言った。
「いや、道はあるんだが、“見ようと思えば見える”んですな。普通に歩いていたら通り過ぎる。見えてしまったら、たどり着いてしまう。そんな場所でしてな」
その村には、かつて“ウチガミ”と“ソトガミ”という二柱の神を祀っていたという。内と外――村の内側に宿るものと、外界に在るもの。それぞれに異なる性質と、祈り方があった。
「ウチガミは火の神で、家々の炉端におりました。笑うことはなく、秋になると泣くといわれておりましたな」
「ソトガミは山の神、風の神。春になると笑うんです。ただし、笑うのを聞いたら戻れん。そいつが来る前に、耳をふさがねばならんのです」
笑う神、泣く神。どちらも尊び、どちらも畏れる。
この土地の“カミ”とは、どこか人と交じるものでありながら、決して人の側に留まるものではなかった。
村では、「石を踏むな」という教えが強く伝えられていたという。とりわけ、“白い石”が禁忌であった。
「ある道を越えると、白い石が立っとる。その石より先は、“ソト”なんです」
その石は、年を追うごとに形が変わる。最初は拳ほどのものだったのが、やがて膝、胸、肩、ついには人の背丈ほどになる。そして、そうなった年には、村の誰かが“名前を返す”という。
「名前を返す、というのは?」
と私が尋ねると、老人は少し目を伏せて、こう言った。
「名を呼ばれると、返さねばならん。人の名を、先に名乗られてしまったら……それはもう、戻らんのです」
そうして、帰ってきた者には、ある“印”が現れるという。
左の肩に、火傷のような痕。水疱が破け、皮膚がめくれる。だが痛みはない。代わりに、風の中から声がするようになる。名を呼ばれるのだ。だがそれは、自分の声ではない。
「そうなったら、もう村の者ではない。笑うことも、泣くことも、してはならん。目が笑ったときは、口を閉じねばならんのです」
これは、村に伝わる“カミの掟”の一部である。
興味を惹かれて調べを進めるうちに、私は一つの古い資料にたどりついた。昭和二十二年に発見されたという“旧村誌”の断片だ。
そこには、土地の風習、祈祷、神名の断片的な記録とともに、ある出征兵の証言が載っていた。
「俺の村には道が一本だけあるんだ。山の中に、白い石が立っとってな。夜になると、そこから杖をつく音が聞こえてくるんだよ。音だけで、影がない。でも、見られるといけない。目を逸らしても、見られちまうことがある」
その兵は帰郷後、肩に火傷を負い、やがて言葉を話せなくなった。だが彼は笑い続けていたという。
口は笑っているが、目は笑っていなかった。






















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