この話は、フィクションです。
私の地元の山奥、少し歩けば栄えた街がある中途半端な田舎の話。そこには『ワライサマ』という神様がいました。
おじいちゃんおばあちゃんは、子供が悪いことをすれば「ワライサマに祟られる」と言う。どこにでもある、少し都合の良い伝承。
けれど、年に一度の『ワライマツリ』だけは、絶対に守られるべき時間でした。
村中の人間が小さな神社に集まって、みんなで食事を持ち寄り、賑やかに「わらい話」をする。子供たちはそんなお祭りなんてどうでもよくて、神社の隅っこで鬼ごっこをする。もはや形式だけが残った、穏やかで平和な光景です。
でも、その祭りには一つだけ、絶対的な決まりがありました。
祭りの最後、子供たちを家に帰した後。
残った参加者が一人ずつ、特定のテーマに沿った話を披露するのです。
人が酷い目に遭う話。事故に遭う。家族を殺される。凄惨な事件。
ワライサマにとっては、人間が絶望してのたうち回る姿は、小動物が思うようにいかなくてワチャワチャしている程度の「笑い話」だったのかもしれません。
守らなければならない決まりとして、その話は「必ず創作でなければならない」ということ。
ワライサマは、披露された話の中から一番気に入ったものを選び、その伝承を知る者の中から適当に「実行」するそうです。
近所のおっちゃんは、台風の中、息子の迎えに行ったまま帰ってこなくなった息子と嫁のあとを追って亡くなりました。
これは、私がした話です。
苦しいものです。直接殺したわけではなくても、もはや私が殺したようなものですから。
村の人間は、どんどん少なくなってきました。次は、私の番かもしれません。
死ぬのは怖いです。あんな惨い死に方なんて、さらに嫌です。
そこで、ここに投稿することにしました。
「母数」が大きいほうが、私が当たる確率は低くなりますから。
そういえば、最初の方、少し言葉が足りませんでした。
この話はフィクションを交えて話しています。
田舎の伝承、ありきたりな話でしょうか。つまらなかったでしょうか。
それでも最後まで読んでくれた愚かなあなたに、私からの、嗤いです。
嗤(わら)い【動】
人を馬鹿にしたり、見下したりして冷ややかに笑うこと。愚かな様子を笑うこと。
























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