「お爺様はなんにもしないでただ見てるだけでね。皆、泥だらけなのに1人だけ真っ白な
シャツのままで「よしよし」と「うんうん」しか言わないのよ。でも魚が大好きな人で
よく餌を撒くのを手伝わされたのよね」
おばあさまのお爺様の事ですから百年まではいかないけど相当な昔でしょう。
「なにしろ養殖池の作業用でズボンを三越で作るような人でね。叔父さんの部屋に写真が
あるはずよ」と言うと叔父が「うーん、どこだろう」と思い出してるようでした。
「お爺さんが上の養殖池を作ったのよ。父様も叔父さんも魚に興味無いからそのままだけ
ど、枯らすと割れるからって池から上の養殖場までポンプで水を上げてるんだよ」
池掃除の一日が終わり、花火を見たり、縁日を周ったりと大叔母と夏を過ごし、時々
養殖の池に行くのですが、池掃除の後の「白いシャツのオジサン」と逢う事はありません
でした。
叔父から頼まれた「梅仁丹」を買い、部屋に届けると叔父は私を部屋にいれて
「これこれ、この屋敷の古い写真なんだ」と茶色い表紙のアルバムを出して来ました。
屋敷の航空写真や麦わら帽子で羽織袴の御先祖の写真に、屋敷の門に並ぶ使用人たち
池を掘る職人が整列している写真の中に、細面の白いシャツを着た男の人が居ました
「これだ、おばあさんの言ってたお祖父さん」と指をさします「池を作った人?」
「そうだよ」とページをめくると左を向き煙草を吸う横姿の写真がありました。
ハンチング帽子を被り、白いシャツを腕まくりして、ズボン姿
「へえ、この時代はベルトして長ズボンで池作業してるんだねえ」と叔父が言うのです
わたしは、それよりも・・ベルトから伸びる手拭いの長さが膝まであるのを見て
「これ・・」と指さすと叔父も「ずいぶん長いタオルだねえ」と言うのです。
写真はきっと若い頃のもので髪も黒くて精悍な顔です。
わたしの逢った「オジサン」は白髪ですが・・ズボン・白シャツ・ベルト・手拭いと
合致しています。
「エライ人でね。市長にもなったんだよ」と叔父は言うのです。
この話は、ここで終わりなんですが、年月が経ち「〇〇市歴代市長」で検索すると
不思議な事に、私が子供の頃に養殖池で逢ったオジサンを肖像画で見る事ができるのです。
「キミ、どこから来たの」「東京です」「そうか、うんうん」を覚えてるんですよ。
きっと今でも養殖池に居るんだろうと思ってます。























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