実はですね。今でこそ「住んではいけない家」とか「引っ越したらおかしな事が」とか
怖い話がたくさんあるのですが、これって昭和40年代のマイホームブームのころには
ほとんど無かったのです。せいぜい大きなお屋敷とか施設(お城・お寺・遊園地・学校・
病院)で、話が始まるのですけどね。個人宅の中でこういった怖い話というのはほとんど
聞いた事がないのでした。
この昭和40年頃というのは、今の空き家事情とだいぶ違いましてね。
空き家となると、玄関に鍵も掛けていなくて子供でも自由にそっと入り込む事も出来ました。
今回のお話は、そんな時代の空き家の話です。
昭和45年頃です。
二階建ての家が並ぶ住宅街でのお話となります。父親・母親・男の子と妹の女の子が住んで
いたのは三軒隣の家でした。
男の子は少し障害があり、いつも一人で外で遊んでいました。
自分より二歳ほど年下で名前も覚えています「タツオ」と言いました
「たっちゃん」と呼んでいたのです。
たっちゃんは家の前のアスファルトに白墨でよく絵を書いていました。鼻歌のような
ただ、聞いた事がないような曲の鼻歌を「ふんふん・・ふんふん」と言いながら曲がり
くねった線と機関車のような車のが着いた絵を書いていました。
「それは何?」と聞くと返ってくる答えは的を得ないものでした。時々、妹も共に道路に
しゃがんで遊んでいました。今でいう「知恵遅れ」の子供だったのかもしれません。
夕方になると「おかあちゃん」と呼ぶのにふさわしい太った母親が「タツオ」と呼んで
家に戻ります。父親の姿は見た事がありませんでした。
きっと毎日、夜遅くに帰ってきていたのでしょう。子供の私は寝てる時間だったのでしょう
私はよく両親の話を食卓で聞いていたのですが、父親と母親が話す事がたまたま「タツオの家」
の事だった時に、その家が四人家族である事を知ります。
ところが、昼間にタツオと逢って話す中に「おばあちゃん」が出て来るのです。
「きのうね、おばあちゃんといっしょにテレビみた」とか「おばあちゃんのへやで」と言う
話をタツオがするので、私の父母の言うタツオの家の話と、タツオが話す家族の話が違う
事を知っていました。
「たっちゃんの家は、おばあさんも居るって」と父親に話すと父親は「ふーん」と言う反応
で、母親も大して興味がないようで「あ・・そう」で終わっています。























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