秘匿
投稿者:砂の唄 (11)
車は何事もなく私のホテルへと到着した。私は男に促されるまま車を降りると、ホテルの中から若い女性スタッフが出てきた。
「〇×さん、わざわざ送って来てくれてありがとうございます」
「いえいえ、たまたま通りかかっただけですから」
二人とも世間話のような感じで和気あいあいと話をしていた。男の目は優し気な感じに戻っていて、先程の冷たい目つきは影も形もなかった。女性スタッフは私に「電話をくだされば、送迎に向かいますよ」と丁寧な言葉づかいで説明したが、私は逃げるようにして自分の部屋へと戻った。
夕食を食べる気はまるでなかったのだが、ただじっと部屋にいるのも気が滅入ってしまうので私は夕食会場へ向かった。係りのスタッフは昨日までと全く変わらない様子で接客してくれ、料理を運んでくる様子もいつもと変わりなかった。私はほんの少しだけ安心して部屋へ戻ると、早々に寝てしまおうと着替えをしていた。その時、部屋の呼び鈴が鳴った。誰かが私の部屋を訪ねてきたのだ。最初私は気が付かないふりをしようとしたが、あの運転手の男の目を思い出すとドアを開けざるを得なかった。
ドアを開けると、そこにいたのは最初に出会ったフロントの男性スタッフだった。
「夜分遅くに大変申し訳ありません。実はお客様が宿泊のお部屋に、備品が欠けていることが分かりまして、お届けに参りました」
その男性スタッフは申し訳なさそうな顔で私に詫びるように話を始めた。
「えっと、何か足りないものがあったんですか?何も不自由はしませんでしたが…」
「えぇ、こちらなんですが…」
男性スタッフは脇に抱えていた小さな箱を床に置き何かを取り出そうとしていた。
取り出したのは懐中電灯だった。私は顔面蒼白になりながら、必死に動悸を抑え、プルプルと震える全身をなんとか誤魔化していた。
「当ホテルでは災害時、停電時に備えて各部屋に懐中電灯を備えているのですが、こちらのお部屋だけ不備があって取り外していたのをそのままにしていたようでして…」
男性スタッフは頭を下げて申し訳なさそうに話しているのだが、そんな言葉は私の耳に入ってこなかった。私は視線を落としてその懐中電灯を見た。もちろん、その懐中電灯は私が投げ捨てたものではなかったが、タイミングが不可解でしかなかった。私は明日チェックアウトする身で、2回ほど清掃のためにスタッフがこの部屋に出入りしている、どう考えても今である必然性はなかった。
「はぁ、わざわざありがとうございます。これはどこに置けば?」
「えぇテレビの下の引き出しに置いておいていただければ」
私は懐中電灯を受け取り、一礼をすると逃げるように部屋の中へ戻ろうとした。
「最近の懐中電灯はすごいんですよ。いくら振り回しても、強く床に落としても壊れないんですから」
次の日、びくびくと朝食会場に出かけた以外、叔父さんが迎えに来るまで私は部屋でじっとしていた。叔父さんから「駐車場に着いた」と連絡がきたとき、私は逃げるようにフロントへ向かった。フロントのスタッフは今まで会ったことのない女性スタッフだったが、滞りなくチェックアウトは終わり、「またお越しください」の言葉を聞き終える前に私はホテルを出た。
すぐに叔父さんの車に乗り込み、叔父さんは「どうだ?楽しかったか?」など悠長に話しかけてきたが、私は「ちょっと湯あたりしたみたい」と噓を言ってすぐに発車するよう催促をした。私はうなだれるような姿勢で目をつぶりながら座っていたが、ようやく車は進み始めた。車が角を曲がりあとは直進するだけ、その時だった。
「おぉ、すごいなぁ。あいつがここを絶賛していた理由が分かったよ。ほら、ちょっと前を見てみなさい」
私は叔父さんの言葉を無視するわけにもいかず、顔を上げて目を見開いた。
私の目に飛び込んできたのは、通りいっぱいに広がり笑顔でこちらに手を振る人々の群れだった。マラソンの街頭応援のような感じで、色とりどりの制服、半纏を着た老若男女全員がこの車に手を振っていた。恐らく20人以上はいたはずだ。
「これだけ盛大に見送ってくれるんだから、また来ないとな。年明け辺りみんなで来ようか?」
私は助手席で嘔吐していた。叔父さんは驚いて車を引き返そうとしていたが、私は「大丈夫だから」と繰り返し、叔父さんはとても心配そうだったが車は進み続け、あの温泉街は小さくなっていった。
今更言うまでもないが、あんな光景はこの温泉街の日常ではない。大勢の見送りなど見たことがなく、せいぜいホテル前でそこの従業員が見送るだけだ。あの制服の雑多具合から恐らくこの温泉街の全ての宿泊施設から従業員が出ていたはずで、私はこの温泉街全てから見送りを受けたのだ。車を見送るその笑顔はお面のように無機質で、微かに動いている口元は何を言っていたのだろう?
家に帰った後、直接的な危害はもちろん、何かしらの脅迫を受けたということはない。だが、一つだけ今も続いている不穏なことがある。毎週金曜日、夜7時ぐらいになると私の携帯電話に非通知の電話がかかって来る。毎週欠かさず、ほぼ同じ時間にだ。私は非通知の着信は無視することにしているので、その電話に出たことはないが、その着信は必ず2コールで切れる。
その年の暮れ、叔父さんは私の父と母、親戚数人であの温泉街を訪れた。無論、私は同行しなかった。2泊3日の旅から帰ってきた父と母は「とてもいいところだった」と語り、どうやらあそこで何も見ず、何も聞かなかったようだ。母は事あるごとに「一緒に行けばよかったのに」と口にしたが、父はあまりそういうことは言ってこなかった。いつぞや父と温泉街の話をした時にこんなことを言っていた。
「深夜に飲み屋で酒を飲んでた時だ。楽しく飲んでたら、いきなり半纏を着た兄ちゃんが入ってきたんだよ。それで、『外で酔っ払いが暴れているから、しばらくここから出ないでください』なんて言い出した。確かに外が随分とがやがやしてたから、店の外に何人か人がいたんだな。帰るって言い出した他の客も『もうしばらく待ってください』って30分ぐらいずっと待たされてたし、どうにもその迷惑な奴らのことが頭に残っててな。それがなけりゃ文句なしだったんだがなぁ」
ゾクゾクした
最後、笑顔で何て言ってたんだろう‥非通知に出たら何を言われるのか‥想像力を掻き立てられます。
こわ…、
もう温泉旅館にいけませんw