秘匿
投稿者:砂の唄 (11)
その祭壇と炎を囲むようにして人が何人か座っていた。ゆっくり数えると6人いるようで、全員が土下座でもするように腹を床につけていて、どんな格好をしているのか性別や年齢すら分からなかった。声を出しているのはその6人らしいが、よくあんな姿勢で喋れるものだ。
私の視界にもう1人、暗い色の服を着た人物が入り込んできた。どうやらその人物は祭壇の周りの6人を監視でもするように歩き回っているようだった。炎に照らされ、その人物の様子が少しだけわかった。その人物が着ていたのはカーキ色の軍服だった。その男は顔と髪の感じから結構な年齢の老人で頭にはベレー帽みたいな帽子をかぶり、腰には何やらジャラジャラと金属をぶら下げている。手に持っていたのはサーベル、ではなく木刀のような棒だった。しばらく歩き回っていたその軍服の老人は祭壇の正面で立ち止まり、祭壇の方を向いて手に持った棒を両手で持ち直し、祭壇に献上するような動作をとった。急に声が聞こえなくなった。
祭壇を凝視すると、軍服の老人の視線の先に一枚の写真があることに気づいた。そこには眼鏡をかけ、短いひげを生やした中年の男の顔があり、それは遺影ではなさそうだった。額縁にあたる部分が金色で上の方には色とりどりの装飾が取り付けてある、遺影にしては悪趣味だ。それは教科書で見た毛沢東や金日成の肖像画を思わせたが、ここにいる人物とどう関係しているのかは全くわからない。
「只今より、偉大なるヤマギシ?閣下の多大なるご寵愛に報ゆるがために、タイショウ?教書より第二節を奉らん」
軍服の老人は狭いホールには大袈裟すぎるほどの大声で宣言を行った。床に伏せていた6人は再び何かお経のような言葉を唱え始め、次第にその声は大きくなり、上半身を持ち上げるように姿勢を変え始めた。私はその光景を呆然と見つめていたのだが、扉に寄りかかり過ぎたせいか、扉が外れ私の体はホールの中へと投げ出された。
その音に気が付いたのは軍服の老人だけのようで、祭壇の周りの6人は何事もないようにお祈りのような行為を続けていた。
「貴様!ヤマギシ?閣下の御前であるぞ。あまりにも不敬ではないか!」
軍服の老人はそう言うと手に持った棒を振りかざしながら私の方へと向かってきた。私は慌てて立ち上がりすぐにホールから出ようと渡り廊下の方へ走り出した。渡り廊下を抜け、先程歩いてきた東の廊下を死に物狂いで走った。何度も足がもつれそうになり、手をバタバタさせたせいで手首に繋がれた懐中電灯は吊り上げられた魚のように暴れまわり、ミラーボールのように光を乱反射させていた。
軍服の老人は足が悪いのか大分後方にいるようだが、「斬首にしてやる」など恐ろしい言葉を発しながら執拗に追ってきていた。どうやら私が侵入者だからではなく、私の無礼に怒っているようだった。エントランスホールに着く手前のところで、私はストラップを引きちぎり懐中電灯を軍服の老人へ投げつけた。当たったかどうかは分からなかったが、私はすぐに前を向き、正面入り口のドアを目指した。私はドアの取っ手に手をかけた所で気づいてしまった。このドアには鎖が巻かれている、しかしドアは呆気なく開いたため私はそのまま建物の外へ出た。なぜ?ということは考えず必死に走ったが、ドアの陰には鎖が投げ捨てられているのが見えた。南京錠がどうなっているのかを確認する余裕はなく、どのように外されたのかは分からない。
ともかく外へ出ることが出来た私は一心不乱に柵と柵との間の出口へ走った。懐中電灯を投げつけてしまったため、うっすらとしか見えないが大体の場所は分かる。一本だけ張ってあるロープを乗り越えてようやく敷地外に出ることが出来た。後ろの方からあの怒鳴り声は聞こえてこず、私は両膝に手を当てて上半身を前に倒し、息を整えようとしていた。
「おやおや、こんなところでどうしました?」
声は後ろからではなく私の前の方、つまり、温泉街の道路の方から聞こえてきた。私の心臓は何度目かの破綻を経験し、私はハッとしたように顔を上げた。
闇の中に立っていたのは青色の半纏を着た60代位の老人だった。少なくとも昨日私に声をかけてきた人物ではないが、他所の温泉へ入りに行ったときに会ったかもしれない、そんな感じがした。
「あぁ、散歩をしていてこんなところまで来てしまったんですね。まだ夜中という訳ではありませんが、大分暗いですからなぁ」
老人は台本を読み上げるかのように一人で淡々と話し始めた。私は何を言われるのか全く予期できず、荒い息遣いでじっと老人の顔を見ているしかできなかった。
「あぁ、ちょうどいい。車が来ましたから、送って行きましょう。何も気にすることはありませんよ。さぁさぁ乗ってください」
私は老人の言っていることがよく分からなかったが、急にエンジン音が聞こえ始め、老人の背後から唐突に光がやってくると、老人のすぐ近くに白い車体のセダンが停車した。
私は訳が分からなかった。私を送って行く?それは分かるが、なぜこんなドンピシャなタイミングで車がやって来る?ここには飲み屋しかなく、その飲み屋もまだ営業していないはずだ。車は何の用があってこの道を走っている?そもそもこの老人はなぜこの建物の前に立っている?なぜ?なぜ?なぜ…
「さぁ、早くお乗りなさい。××ホテルまですぐですよ」
老人は私の滞在先を知っていた。ここで私は何かしらの抵抗をすることの無意味さを知り、老人に促されるまま車の後部座席に座った。乗車の途中に車の明かりで気づいたが、道路の向こう側には40代位の女性2人が街路樹のそばに立って何かを話しているようだった。その様子は主婦の立ち話のようだったが、こんな場所で偶然会うことなどあるはずがない。また、車体の少し後方に自転車にまたがりハンドルに頬杖をするようにして立ち止まっている男がいることにも気が付いた。目を凝らせば奥の暗い道にもあと数人は潜んでいるだろう、そんな気がしてならなかった。
「お客さん、この辺は暗いですからね、よく転ぶ人がいるんですよ。いやー私が偶然通りかかってラッキーでしたね」
運転席に座っていたのは30代位の恰幅のいい男だった。半纏などは着ておらず、声をかけてきた老人とどういう関係なのかは不明だ。
「それじゃ、××ホテルまで頼んだよ」老人は運転席にそう声をかけて建物から離れるようにのろのろと歩いていった。
車はゆっくりと発車し、全く人通りのない温泉街の中央を走っていた。
「あの…」私は重苦しい沈黙に堪えかねて声を出した。
「あぁ、気にしなくて大丈夫ですよ。確かに夜間の外出は控えてもらってますけど、あれは怪我の防止のためですから。そんなに気にしないでいいですよ」
「いえ…そうではなくて…」
「送迎もこの〇〇温泉共通のサービスみたいなものですからね。お金なんて請求しませんよ」
私は無言になり、黙り込んでしまった。この男の話す一言、一言が私の首筋を掠める刃物に思えた。
「うちに来てくださるお客さんはみんないい人ですからね。こちらもサービスしないと。本当にみんないい人ばかりですよ。まぁ、たまに誓約書をよく読まないあわてんぼうなお客さんもいますがね」
男の声は急に無機質な冷たいものに変わった。私は息が詰まりながらも何とか呼吸を続けていた。バックミラーに映った男の目は恐ろしいほど冷酷な感じがした。
ゾクゾクした
最後、笑顔で何て言ってたんだろう‥非通知に出たら何を言われるのか‥想像力を掻き立てられます。
こわ…、
もう温泉旅館にいけませんw