山中の遊戯
投稿者:すだれ (27)
私のおじいちゃんが小さい頃に体験した話ね、と前置き。
車の運転席の友人は此方から買ってきたばかりのお茶の缶を受け取った。
「君の祖父君が幼少の頃…というと、戦時中か?」
「確かに経験はしてるんだけど、本当に小さかったから。体験自体は戦後だったって」
「そうか」
「校舎も普通にあって、学校の授業とか給食も、中学生の年齢の子たちと合同だったけどあったみたいよ?学校には七不思議みたいな噂もあったんだから!」
「…ああ、確かトイレの花子さんの原型が出現したのも50年代だったか」
「あ、そうなんだ」
「祖父君も、学校の中で何か体験したのかな」
「ううん、おじいちゃんの体験談は隣町の山」
「ほぉ」
身の内から好奇心が湧く。此方が細めた目に気づいた友人は面白がるように言葉を紡いだ。
「おじいちゃんはね、山で『何か』と遊んだんだって」
友人の祖父が少年の頃は子どもの遊びの場はより外に向いていて、自分たちが少年少女の頃に公園で遊んでいたよりも自然と隣接していた。
近所の山に探検と称して足を踏み入れ、好奇心の赴くままに進み、木の実や石を拾い、時には思い思いに秘密基地を設けたりなどは昨今では中々できない遊びだが。
逆にいえばそういった遊びは時代が寛容した特有のロマンを含んでいる。
当時の子どもたちも、祖父も、そのロマンに惹かれたのだろう。クラスでは近所の山のどこに、誰と探検に行ったかという話題で持ち切りだった。
好奇心旺盛でフットワークが軽快な子どもたちが探検自慢をする際、『誰も踏み入ったことのない場所』…大抵は子どもの足で行けないくらい遠方か大人たちから立ち入り禁止と釘を刺されている危険な区域だが、そういった場所を探検した子は一気に英雄扱いされた。
探検は単独で冒した危険が過激なほど、クラスメイトや友達からは喝采と尊敬の眼差しを浴びる。名声を求めた子どもたちの探検はより危険な場所へと及んでいった。
友人の祖父もまた、名声が欲しい子どもの1人だった。
「お兄ちゃんの自転車勝手に使って、隣の市まで行ったんだって」
「1人で?」
「うん」
「御見それするね…」
「私も。車でも結構かかる距離を自転車で行くのもだし、お兄ちゃんの自転車盗むのもねぇ」
「向かったのが、その山?」
「うん」
麓から入る山への道には鳥居が立っていて、根元には小さいながらも社のようなものが建てられていた。
入らせて頂きます、参ります、参ります。
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