ある美容室の『誰も座らない席』

そのお客さんの顔色は段々と青くなっていき、寒いのか、体は大きく震えています。
ただごとではない様子に、店長さんが救急車を呼ぼうとした時、お客さんは席から降りて、受付で荷物を受け取り、そのまま逃げるようにお店を出ていってしまいました。
店長さんも美容師さんも、私や他のお客さんも、全員ぽかんとした顔です。
でも、そのうち「…やっぱりあの席って曰く付きなんだ」「まぁ、態度が良くない人だったから、ああなるのも仕方ないね」というお客さんのヒソヒソ話しが聞こえてきました。

店長や他の美容師さんは、店内に残っている他のお客さんに対し、「先ほどは失礼いたしました」と、謝っています。
私も謝られましたが、お客さんの態度の方が悪かったし、お店側に嫌な気持ちは抱きませんでした。
それに見てしまったんです、例の席に、男の人が座っているのを。

男の人の幽霊は、お客さんが席に座ると、そのお客さんに重なるようにしてぼんやりと姿を現しました。
表情はとても怒っていて、お客さんに対して何かを呟いていました。
何を言っているのかは分かりませんが、雰囲気的にあまり良い言葉ではないと思います。
そしてお客さんが気分が悪いと言って顔を青くしたら、男の人はニタニタと意地わるそうに笑ったのです。

あの席に座っていた男の人は、決して良い幽霊ではないでしょう。
しかし、あの席に座りさえしなければ何も起きないし、美容師さんの腕は良いので、そのことがあった後も私は美容室に通い続けました。

今は、店舗を移転しており、新しい場所に建った美容室では、空いているのに座れない席はありません。

後から知った話しですが、あの席に座っていた男の人の幽霊は、前店長さんなのだとか。
前店長さんは、あの場所に美容室が建った当初から働いていた方で、美容室が休みの日は新人美容師に練習でカットしてもらっていたそうなんです。
いつも座っていたのが問題の席ということで、病気で急死されて幽霊になった後も、あの席に座っていたのでしょう。

前店長の幽霊はどこに行ったかと言うと、以前のまま、美容室跡地にいます。
美容室跡地は更地になっていて、建物は何も建っていません。
席もなくなっているからか、一度だけ、更地になったあの場所を前店長の幽霊が彷徨い歩いているのを見たことがあります。
近所でも「あの土地は男の人の幽霊が出る」という噂があるので、今後、新しいお店や建物が建つことはないでしょう。
お祓いもしたそうですが、何度お祓いをしてもらっても前店長の幽霊は消えることがないので、土地の持ち主はもう諦めてしまっているようです。
その土地がどこにあるかは詳しく書けませんが、大阪府のどこかにあるとだけ書いておきましょう。