あの手帳を買ったのは、六月の初めだったと思う。
もともと古い文具が好きで、フリマアプリをよく眺めてたんだけど、ある日、“未使用品”として出てた黒革の手帳が気になった。
金箔で「Exchange」とだけ表紙に書かれた、ちょっとクラシックな雰囲気のやつだった。
届いたとき、中はたしかに白紙だった。
紙の匂いも、表紙の擦れ具合も良くて、そのまま一ページ目に何となく「よろしくお願いします」と書いた。
それが最初だったと思う。
でも翌日、手帳を開いたら、俺が書いたはずの“そのページ”に見覚えのない文章があった。
「昨日は晴れ。午後、駅前で友人と話す。夕方、電車が遅延。」
……なんか、当たってる気がした。
たしかに天気はよくて、偶然、駅前で昔の同級生に会って立ち話した。
電車も、遅れてた。
ただ、それを俺が書いた記憶はない。
でも、字も文体も、完全に俺だった。
語尾のクセまで、昔から自分がよく使ってるやつだった。
それから毎晩、俺が覚えてない“昨日のこと”が手帳に書き足されるようになった。
「昼、カフェ。隣の席の女性が泣いていた。」
「夜、昔住んでた場所の夢を見る。」
「午前三時、窓の外を見る。風なし。覚えていない。」
思い出そうとすると、思い出せる。
本当にそれが“あった”ような気がしてくる。
でも、何かがずれている。
たとえば「先週の日曜日にしたこと」を思い出そうとしたとき、
自分の記憶はぼんやりしてるのに、手帳には細かく記されてる。
それを読むと、「ああ、そうだった」と思う自分がいる。
でもそれ、本当に自分の記憶なんだろうか?
だんだん、どこからが俺の記憶で、どこまでが“手帳の記憶”なのか、わからなくなってきた。
ある日、試しに白紙のページを開いたまま寝た。
翌朝、こう書かれていた。
「昨日は静かだった。思い出す必要はなかった。」
そのあと、最終ページに、たった一行だけ。

























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