禁足地に足を踏みれてしまった、数日後。
勤務時間を終え、俺は会社を後にする。
時間は夕方、じきに陽が暮れる。
俺は会社の敷地内から車を出した。
会社から自宅まで車で30分ほどである。
赤信号で停車していた時。
陽が暮れ始め、俺は車のライトを点灯する。
ライトをつけた、
その瞬間。
その灯りに照らされた真正面に、
…アレが、
黒い人型の、ナニカが、いた。
ライトに照らされたナニカは、まるで闇の中の黒い切り絵のようであった。
ナニカは最初、俺の存在に気付いていないかのようだった。
車の前を横切る歩行者のように、横を向いている。
…気付いていない?
俺は、そのナニカが、そのまま俺の車の前から去ることを願った。
…だが、願いは、叶わない。
ナニカの首が動く。
頭の部分がきっかり45度、横を向く。
俺の車に向かって、顔を向ける。
頭の部分に、二つの切れ目が入った。
5cm程の切れ目。
その切れ目が、上下に開く。
あれは、
眼だ。
ナニカの眼が開いた。
人間の目ではない。
瞳孔が縦に伸びる。まるで爬虫類の瞳だ。
冷たい視線が、
あの時と同じ視線が、車のフロントガラスを突き抜け、俺に刺さる。
冷たく鋭い刃物で貫かれるような視線。
両の眼の下に、三つ目の切れ目が入る。
15cmはある切れ目。
人で例えるなら、口にあたる箇所。
その切れ目が、ゆっくりと動いている。
よく見れば、その口の動きは、同じパターンを繰り返している。
まず、切れ目が左右横に伸びた。
次に、切れ目が短くなり、まるで口をすぼめるような形を作る。
その次は、横に楕円を作るような形。
最後は、切れ目が上下左右に均等に開き、円形を作る。
俺は、ナニカの口の動きを見て、ナニカの言わんとする事に気付いた。
「ミ」
「ツ」
「ケ」
「タ」
俺の背筋に、森で感じた時以上の怖気が奔りる。
…
プワーッ!!
後続車のクラクションで、俺は我に返った。
俺は視界を前方に向ける。
ナニカの姿は消えていた。
信号は、すでに青だ。
俺は、震える足で慎重にアクセルを踏み、車を進ませた。
…
…
その夜である。
俺はなかなか寝付けず、ベッドからトイレに起き出す。
ふと、廊下の電灯が点灯したままなのに気付く。
…おかしいな。消し忘れたか?
一人暮らしの俺には、同居人はいない。
俺以外に電灯を操作する人間はいない筈である。
俺は、壁のスイッチに手を伸ばし、天井の電灯を消す。
廊下の先は玄関であり、外の街灯の光が差し込んでくる。
その時、俺は一瞬ゾクリとした。
玄関の横のコート掛け。そこには俺のコートが掛けてある。あるのだが…。
ゾクリと背中が震える。
コートが外の街灯の光で影を作り、人の形に見えたからだ。
俺は念の為、もう一度天井の電灯を付ける。その影が間違いなく自身のコートである事を確認する。
ホッと息をつき、俺は再びライトを消す。
…だが、そこで俺は、違和感に気付いた。
コートの横に、もう一つ人影があるように見えたのだ。
俺は再びライトをつける。
…何もない。コートだけだ。
ライトを消す。
…おかしい。やはり、人影があるように見える。
目の錯覚だろうか?
俺は再々度、ライトをつける。
…何もない。
ライトを消す。
また人影のようなものが見える。
そして俺は、さらなる事実に気付く。
人影に見えるそれが、段々と俺に近付いているように見えたからだ。
…いやいや、あり得ない。錯覚だ!
俺は、もう一度、天井のライトを消した。
その瞬間。
俺の目の目前、1m先に!
黒い影が、いた。
錯覚じゃ、ない!
「わーーーー!」
俺は寝室に駆け込み、布団を被り、無理矢理目を閉じた。
…
…
次の日。
俺は夜勤のシフトについていた。
巡視に回りながら、俺は昨夜の出来事を思い返す。
昨夜、自宅に、ナニカが現れた。
布団を被り無理矢理に眠りついた後。
それから俺の目の前に、あいつは現れていない。
夜が怖かった。
むしろ、今夜が夜勤で良かった。気が紛れる。
俺は夜勤の相方である同僚と巡視を終わらせ、ステーションに戻る。
同僚はこれから休憩時間だ。仮眠の為に個室に入っていった。
ここから3時間は、俺一人だ。
仕事に集中せねば。
俺は、ゆったりと椅子に腰掛け、眼を閉じる。
数瞬の一息の後。
…冷たい気配を感じて、俺は目を開けた。
椅子に座った姿勢のまま、気配の先に、ゆっくりと目を向ける。
ステーションの、面会カウンターの向こう側に、
黒いナニカが、
笑っていた。
「う! ぎゃーーーーーー!!」
俺は叫び声を上げる。
どうした!と、俺の声に驚いた同僚が飛んでくる。
相方は、俺の指差す方向を見る。
何もないじゃないか! 驚かすのはやめてくれ!
そう言って、同僚は迷惑そうな視線を俺に向け、個室に戻っていった。
…
…
それから。
あいつは。
黒いナニカは。
俺のすぐ近くに。
いる。
何時も。
如何でも。
何処までも。
…
耳元で囁き声が聞こえるんだ。
いや、囁くなんて可愛いものじゃない。
あれは、…叫びだ。
断末魔の恨み辛みを込めた、怨嗟の声だ。
何の前触れもなく、
俺の耳元で、
誰かが、ナニカが、叫ぶんだ。
その声は、いや、声じゃない。
甲高いサイレンのような、重いうねりのような、不快な音だ。
それが突然、耳元で聞こえるんだ。
家で一人で居る時でも。
仕事中でも。
寝床で微睡んでいる時でも。
飯を食ってる時でも。
トイレに篭っている時でも。
いつどんな時でも、いきなり突然に、あいつは叫び出すんだ。
そのたびに、俺は耳を塞ぎ、体を丸めて、叫びが過ぎるのを、待つしかないんだ…。
…
…
体調が優れない。
眠いけど、眠れない。
瞼が重いのに、閉じれない。閉じたくない。
闇が、怖い。
頭が重い。ドロリとした液状の鉛が詰め込まれたようだ。鉛の熱が、俺の脳味噌を焦がすんだ…。
耳鳴りも止まない。
ヘッドホンして、大音量で音を鳴らしても、あいつの叫び声は聞こえる。
音に負けじと、更に巨大な叫びを俺の頭にぶつけてくる。
肩が重い。
腰が痛い。
立ち上がるのが、辛い。
整形外科にも行ったが、治らない。ブロック注射も打ったが、全く効かない。
「働きすぎですね」だと!
違うんだよ。あいつのせいなんだよ。
畜生。誰もわかってくれない。
身体中が痒い。
痒くて痒くて、血が出るまで掻き毟る。
血が出て爪の隙間が黒く染まっても、痒くて痒くて仕方ない。
瘡蓋になって、痒くて掻いて、剥げて血が出てまた掻いて。
痒くて痒くて、耐えられない。
皮膚科に行った。けれど治らない。チューブの薬を塗っても、薬を飲んでも、効果なんてありゃしない。
「ストレスですね」だと?
違う! 全部全部、あいつのせいなんだよ!!
…
…
数年前に会社の同期と撮った写真を見た。
おかしい事に気付いた。
俺だけ、黒い。
日に焼けたとか、そんなレベルじゃない。
真っ黒だ。
極太マジックで塗り潰されたみたいに、真っ黒だ。
…なんで、俺だけ、こんな目に遭うんだ?
…
…
夢を見る。
ただの夢じゃない。
眠っている時だけじゃない。
起きている時でも、見るんだ。
白昼夢ってやつか?
突然に、瞼の裏に光が走って、知らない光景が浮かぶんだ。
【俺は、硬く暗く閉ざされた白木の箱の中にいた。叩いても、蹴飛ばしても、叫んでも、誰も気付いてくれない。そのうちに、段々と足元が暑くなってきた。いや。全身が熱い! 燃やされている! 助けてくれ! 俺は叫んだ。だが無駄だった。誰も助けてはくれない。喉が焼ける。息ができない。皮膚が焼け爛れる。爪が溶ける。骨が炭化する。…そして俺は、数kgの乾いた骨片と、質量の無い白煙となった…。】
家で憔悴していた時だった。
【突然、家全体が揺れ出した。強い揺れだ。地震か! だがこんな酷い揺れは始めてだ。天井のランプが千切れ落ちる。ブラウン管テレビの足が折れ床に倒れる。あれ? うちにブラウン管テレビなんてあったか? 茶の間にあったタンスが倒れた。俺はタンスの下敷きになる。なんとか這い出そうとするが、どうしても足が抜けない。早く逃げなきゃ! いや、お前達だけでも逃げるんだ! 俺は泣き叫ぶ妻と子供に逃げろと叫ぶ。だが声は届かない。逃げられない俺の頭に砕けた瓦礫が降り注ぐ。目の前が血で染まる。もう体は動かない。落ちてきた天井が俺を潰す。】
仕事中。書類にペンを走らせていた時。
【突然、目の前の人間がペンを取り上げ、俺の目に突き刺した。俺は叫び声を上げる。大丈夫だ、もう一個ある。そう言って目の前の男がニタニタと笑っている。男は言う。お前がスパイだろう、と。違う! だが男に俺の叫びは届かない。男が両脇にいた軍服の男達に指示を出す。両手を押さえていろ、と。俺の口に布が噛まされ、無理矢理に机の上に手を広げられる。男は、小さな小さな針を十本取り出し、机に並べた。一本目。男は俺に指の、爪の隙間の柔らかく敏感な肉に針を刳り刺す。肉を貫く痛みで俺は叫んだ。だが口を塞がれ声が出ない。男が言う。大丈夫だ、まだ9本ある、と。】
会社帰り。車に向かう途中。
【砂浜だった。薄暗く、雨が降っている。俺の周囲を白装束の着物を着た数人の人間が囲んでいる。周囲を見渡していた俺の頭を誰かが掴む。下を向け! 手も足も縛られ、正座の姿勢のまま、俺は地面に顔を向けさせられる。俺の頭に布がかけられた。見えるのは、小さく穴の掘られた砂の地面だけ。いったい、何が起こるんだ? その時。俺の首に冷たさが奔った。空が、地面が、回転する。転がっている。いや。転がったのは、俺だ。俺は、頭から先のない自分の体を、地面から見上げていた。叫び声は、出なかった。】
いつでも。
どこにいても。
俺の脳裏に恐怖と苦痛の情景が映し出された。
【鋭い槍が、俺の胸を貫いた。肺が熱い! 息ができない!】
【鋭利な刃が、俺の足を切断した。血が止まらない。体が冷たい。寒い。寒い。】
【数本の矢が、俺に刺さる。急所は外れた。だが、この傷ではもう助からない。助からない兵士は捨てられる。いらない荷物のように、棄てられる。俺の叫びは、誰にも聞こえない。聞こえていても、聴こえない。】
…
俺の夢の中では、俺の知らない何処かの誰かが、必ず、死んでいた。
死ぬ程の苦痛と絶望と、叫びの中で。
…
…
部屋の端に、黒いナニカが立っている。
あいつのせいで、
俺は、叫び声に際悩まされ、何度も何度も何処かの誰かが死ぬ光景を見せられてきた。
いつの頃からか、あいつの姿は、更におぞましい姿に変貌していた。
黒い人の形である事に変わりはない。
だが、眼の数が、増えていた。
一つや二つではない。
数えるのも下らないほどに、全身が目で覆われていた。
きっと、掌の中も、足の底にも、瞳があるんだろう。
それぐらいびっしりと、目玉が全身を覆っていた。
その全ての目の視線が、俺に向かってくるのだ。
その視線と対峙しながら、俺は、折れそうな心の中で、小さく決心をする。
…俺に取り憑くあいつは、俺の近くから、いなくならない。
だから、戦わなきゃ、ならない。
そう悟った俺は、近くの寺に相談に向かった。
…
…
俺は近所の寺でお祓(はら)いを受けた。
如何にも胡散臭そうな坊さんが、俺に向かって経を唱える。
それだけで、かなり高額の寄付を強要された。
そして、お祓いの効果の程は…、
皆無である。
お祓いから数日経っても。
俺の耳元では絶えず叫び声が鳴り響き、死の情景は、消えない。
…
…
俺は、県内で最大の規模を持つ寺を尋ねることにした。
山奥にあるその寺院の空気は澄んでおり、先日訪ねた寺に比べ、…清涼感と表現していいのか解らないが、…清廉な心地良さがあった。
数日ぶりに、空気が美味く感じる。
ここでなら、なんとかなるかもしれない。
そんな期待を俺は抱く。
だが、本殿を訪ねた瞬間。
「ヒィ!」
一人の坊さんが、奇声を上げる。
俺の姿を見て、悲鳴を上げたのだ。
何事かと、他の坊さん達が集まってくる。
一部の坊さんは、俺ではなく、俺の背後に視線を向けている。
皆、青白い顔を更に蒼白くしている。
一人の坊さんが、口を開いた。
それは穏やかながらも、強い意志の篭った声だ。
「出て行ってくれ」と。
まさか何もする前から門前払いを受けるとは思わず、俺は、「ちょ…待ってくださいよ!」と反論する。
何をするでもなく拒絶されたのでは、納得できない。
俺は坊さん達に詰め寄る。
「俺がなんだって言うんですか!」
その言葉に、坊さんの一人が口を開く。
「あんたは…。」
俺が?
「あんたは地獄そのものだ。」
地獄?。
この坊さんは、ナニヲイッテイルノダ?
困惑する俺。慄く坊さん達。
その時。
「待ちなさい。」
穏やかな声が境内に響く。
坊さん達が声の主に目を向ける。
そこには、齢80歳は超えると思われる、豪奢な衣に身を包んだ坊さんがいた。
どうやらこの坊さんは、この寺院の責任者…住職らしい。
話の解る人がいた!
「助けてください!」
俺は住職に頭を下げる。
「ともかく、こちらへ。」
住職は、俺を連れて寺に中に入っていく。
住職は最初に、寺院の者の非礼を詫びた。
その後、俺に取り憑く黒いナニカの説明を始める。
住職の話によれば、あの黒いナニカは、無念に死んだ物達の怨霊の集合体らしい。
その怨嗟の声や断末魔の情景を、俺に見せているとの事だった。
戦時中のスパイ容疑で、
関東大震災の被害で、
江戸時代の打ち首で、
戦国の世の戦での最中に、
その他様々な時代の、様々な出来事で、無念と絶望の果てに死んだ者たちが成仏できず悪霊となり、それが寄り添い集ったモノが、俺に取り憑く悪霊の正体だった。
「でも、なんで俺なんですか! 俺は、何もしていません!」
住職によれば、悪霊は、この世とあの世の境目の様な場所に集まりやすく、俺が『偶然』あの森で、ナニカと波長があったために、取り憑かれたのではないかと教えてくれた。
その説明に、俺は激昂する。
「じゃあ、俺があのナニカのせいで酷い目にあっているのは、全て『偶然』…つまり『運が悪かった』からなんですか!」
住職は、言葉なく頷く。
俺は興奮しながら言葉を続ける。
「世の中には、ほんの軽い気持ちで、何気なく心霊スポットに行くような奴らばかりですよ! それが…、それが、なんで…俺にだけ、取り憑くなんて…、なんでこんな事が、起きるんですか! 俺の身にばっかり…。運が悪い…そんな理由で…俺にだけ…。」
最後は涙声だった。
膝を折り床に手を付く俺に、住職は静かに言葉をかける。
「運とは、つまり運命です。浄や不浄に限らず、全ての出会いは運命なのかもしれません。」
「運命…。出会い…。」
「あなたに取り憑く悪霊も、もともとは無念の内に亡くなり、行き場を失った可哀想な者達です。あなたに死の情景を見せるのは、もしかしたらあなたに救いを求めての事なのかもしれません。」
「救い…。」
「そうです。あなたは、あの悪霊を救えるかもしれないんです。それは、あなたの『希望』になりませんか?」
俺は、今も視界の隅に映る黒いナニカに目を向ける。
黒いナニカは、無数の視線を向けながら、ただ、立ち竦んでいる。
住職は、言葉を続ける。
「あの悪霊を祓う事は、可能です。ですが…その為にあなたは辛い思いをする事になるかもしれませんが…。」
「…俺がそれを耐えれば、あの悪霊は…霊は、成仏できるんですね?」
「はい。」
住職は静かに頷いた。
…
…
俺に憑いた悪霊。それを今夜、祓う。
俺は寺院の御堂に泊まることになった。
御堂の窓は全て塞がれ、中を照らす明かりは数本の蝋燭のみ。
扉には閂が降ろされ、部屋の四方には塩が盛られている。
住職他十数名の坊さんは、御堂の外で経を読んでいる。
この御堂の中で明日の朝まで過ごすことが、お祓いの内容であり、俺の役割だった。
この数ヶ月。
黒いナニカのせいで、地獄を見てきた。
だが、この一晩で、全てが終わる。
こいつを成仏させてみせる!
ある意味、俺は達観していた。
それは、この先に待つ開放感への期待によるものか、
それとも数多の死の情景を見せられ続けたことによる影響か。
もしくは、絶望の果てに、それでも『誰かを助ける』というヒロイックな感覚に酔っているだけなのか。
いや。この際、そんなことはどうでもいい。
この晩を乗り切った先に、答えが有る筈だ。
…
…
そして。この夜。
俺は、過去最大級の死の情景を見ることになる。
その死の苦痛も、絶望感も、今までの比では無かった。
【…椅子に縛り付けれている俺。いや。私。私は俺より遥かに背が小さい。両手は椅子の肘掛に固定されている。口には猿轡が、目には目隠しがされ、身動きどころか、言葉も出せない。痛い! 指先に痛みが走る。痛いなんてものじゃない。熱い! 痛い! 指先の感覚が無い! その痛みは全ての指に及んだ。目隠しが外される。私は反射的に自らに指を見る。指は全部『無かった』。泣き叫ぶ私。目の前に男が現れる。三人の男性。汚らしい目を私に向けてくる。口を無理矢理開かされる。鉄くさい香りが鼻を突く。ブチ。痛い! カチャンと床に小さく硬いものが転がる音がする。20回ぐらい。私の口に吐き気を催す何かが詰め込まれた。息が詰まる。もう嫌だ。しにたいしにたい死にたいシニタイ殺して殺してコロし、て】
最悪の悪夢から目覚めた。
吐き気がする!
俺は御堂に床に吐物を撒き散らす。
辛い。苦しい。
絶望感が俺を支配する。
俺は、時計を見る。
22時。
…夜明けまでは、まだ遠い。
0時…。
俺の瞼の裏で。
2時…。
何度も何度も。
3時…。
苦痛と恐怖に塗れた死の情景が。
4時…。
繰り返された。
5時。
もう、たくさんだ。
そして。
6時…。
…。
長い夜が、明けた。
…
御堂の隙間から朝陽が差し込む。俺は床に倒れたままで放心していた。
床には、俺の吐物がそこかしこにぶちまけられている。
身体中、汗と尿でベタベタであり、衣服は肌と床に引っ付いてしまっている。
一晩でおそらく数kgは痩せたであろう。
それほど凄惨な夜だった。
そんな俺を支配する感情は、一つ。
…これで、終わったんだ。
今、俺はそれ以外の感情を持ちあわせていなかった。
…
住職と、他数名の坊さんが、御堂に入ってくる。
住職は、俺に「お疲れ様でした。ご立派です。」と告げる。
…
坊さん達が俺の腕を掴み、立たせる。
持ち上げるというよりも、無理に引っ張り起こすように。
「これで、終わったんですね…。」
俺は住職に話しかける。両腕は屈強な坊さんに掴まれたままだ。
「はい。昨夜、あなたに死の情景を見せた悪霊は、祓われました。」
…良かった。助かったんだ。
住職は言葉を続ける。
「そして、あなたには、
あと九万九千九百九十九人の悪霊が取り憑いています。
全ての悪霊を祓えるまでは、まだ終わりません。
さ、頑張りましょう。」
住職の言葉を耳にして、
…。
…。
…。
…。
…。
…?
……?
「……………………は?」
俺は一言だけ、そう呟いた。
…
…
…
…
…
…
絶望の数だけ、地獄がある。
視界の先で、数多の怨念の集合体である黒いナニカが笑ってる。
俺の地獄は、まだ終わらない。
『運が悪い』
ただ、それだけの理由で。






















こうゆう話好きやわ!
がんばれ。。。
生きてる間には無理ですね。。