認知症の親父と過ごした最後の日々
投稿者:ねこじろう (147)
あなたの回りには認知症の方はいらっしゃらないでしょうか?
もしおられたらその方は、誰もいないはずのところに語りかけていたりしてないでしょうか?
もしあなたがそんな場面に出くわした時は、どうか笑わないで暖かい目で見守っていただきたい。
何故なら、その方には間違いなく「何か」が見えているのだから。
これから語る話は、晩年アルツハイマー型の認知症を患った親父の介護のために一緒に過ごした俺が体験した恐ろしい話だ。
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俺は一人っ子で、高校までは親父に育てられた。
お袋は物心付く頃にはいなくなっていた。
親父は大工で職人気質の短気な性格だった。
普段家では無口で大人しくて特に趣味とかもなかったのだが、些細なことでキレたりすることがあり、お袋とはよく派手な夫婦喧嘩をしていたものだった。
たまに親父の怒りの矛先が、幼い俺に向けられることがあった。
そんな時お袋は身を呈して俺を守ってくれていた。
親父は酒が好きで毎晩晩酌を欠かすことがなくて、そこそこの酒量ならニコニコして穏やかで良い感じなのだが、ある時点を越えると突然スイッチが入ったかのように豹変して暴れだし、お袋に理不尽な暴力を繰り返していた。
その時の親父はいつもの穏やかな親父ではなく、全くの別人格が憑依したかのように般若のような面構えをした恐ろしい鬼のようだった。
そんな時もお袋は俺だけには被害が及ばぬよう配慮してくれていたと思う。
深夜お袋の泣き叫ぶ声で眠れず、布団を頭から被り両手で耳を塞いで寝たりしていた。
朝起きて食卓に付くと片目をお岩さんのように腫らしていたお袋がいて、度肝を抜かれるなんてこともあったりした。
そんなお袋の可哀想な姿を見るたび、幼い俺は己れの無力さを呪ったものだった。
恐らくお袋はそんな狂った日常に耐えきれず、家を出ていったのだろうと俺は思っていた。
お袋が姿を消した後俺は親父の手一つで育てられるんだけど、それも高校までだった。
親父の度重なる酒乱やDVに結局耐えきれなかった俺は、高校を卒業と同時に家を出る。
それから学校の紹介で大阪にある某車会社に就職した。
そしてそこの寮に入り働きながら整備士や車関係の資格を取り35歳の時退職して再び故郷に戻ると、僅かな退職金と貯めた金を元手に車両整備の小さな店を始めた。
そこで頑張って信用と実績を重ねるとお客さんもそこそこ増えだし、従業員も数人雇うようになった45歳のある日のこと。
思わぬ人と接点を持つことになる。
偶然に車検を依頼に来たその人は、なんと親父の弟だった。
つまり叔父さんだ。
何度となく叔父と話しているうちに、既に大工を辞めて隠居している親父がアルツハイマー型の認知症を患っているということを知る。
そしてその症状は酷くなっていく一方らしくて、叔父さんもかなり心配しているということだった。
初めその話を聞いた時、あんなクソ親父なんかの垂れ死んだらいいなどと思ったのだが、やはりそこはたった一人の肉親。
貴方が親殺しの大罪を犯す前に、お母様がお父様を迎えに来て、最終的に貴方を護ったのでしょうね。
変わり果てたお母様を目の当たりにしたご心痛はいかばかりかと、言葉が詰まります
こういうのが読みたかった
なぜだろう?涙がこぼれてきた。
すごく心に響きました。
⬆️皆様、暖かいコメントありがとうございます!
─ねこじろうより
母親はあの世からでも自分の子供を守るのですね。
何だか、実家の母に会いたくなりました。
コメントありがとうございます。
母の愛は深いですよね。
─ねこじろう
心にくる話ですね
良いものを読ませていただきました
ありがとうございます。
─ねこじろうより
とてつもない名作。
ありがとうございます。
ねこじろう
ここ最近で一番面白かった
ありがとうございます。
─ねこじろう
母の愛っていいものですよね
それにとてもいい名作
母の愛は海よりも深い、という言葉を思いだしました。
母の愛という観点から読んでいただいた方が意外とおられて、驚いております。
─ねこじろう
名作中の名作。この作品を越えるものは?
ヒトコワで心霊怖くて、そして温かい。これは名作!