高野山の宿坊

「林間合宿で高野山に行くから１週間ほど来ないよ」
私は祖母に伝えると、いそいそと帰る支度をしました。
「高野山ねえ・・・へえ、呼ばれたのかねえ」
祖母は遠い目で外を眺めています。
「おばあちゃんは、高野山に行ったことがあるの？」
「そりゃあ、和歌山県出身だからあるわよ」
そう言えば、祖母は独身の頃、和歌山県でバスガールをしていたなと思い出しました。
昭和初期のバスガールは、女性の憧れの職業だったとか。
美人の祖母は、かなりの人気者だったようです。
そんなやり取りから２日後、私はワクワクしながら高野山へ出発しました。

電車で９０分、途中からケーブルで山を登ります。
電車の車窓から眺めていると、すっくと立ち上がる高野杉、
ヒノキやアカマツに、モミなどの大木が下界からの邪念を遮断するかのように見下ろしてきます。
山の奥深くに差し掛かると、パチーンと空気が入れ替わる瞬間がありました。
何か、高野山ってヒンヤリしていて神秘的だなという印象でした。

今から１２００年ほど前に、弘法大師空海が開いた真言密教の聖地高野山は、１１７の寺院があり、そのうちの５１の寺院が宿坊をしています。
私たちは、その中の１つに３泊４日の林間合宿で滞在することになりました。

「何か、お寺とお墓ばっかりだな～」男子がテンション低めにぶつぶつ言っています。
「お勉強に来たのだから静かで良いじゃない。でも、名物の高野豆腐は美味しいみたいよ」
楽しみは夜の精進料理だけとなりました。

高野山の精進料理は歴史が古く、五法(生・煮・焼・揚・蒸)　五味(醤油・酢・塩・砂糖・辛)　五色(赤・青・黒・黄・白)という独特の調理法です。
野菜に海藻、渋い山菜にお豆さんといった超ヘルシー料理。食べ盛りの子どもには、少し物足りない感じでした。
まさにお寺の修行に来た小坊主状態です。
「おれ、もう諦めた！」男子は早々に部屋に戻りカードゲーム大会を始めたようでした。

女子はゆっくりとお風呂に入り、部屋に布団を並べると林間合宿で恒例の暴露大会が始まりました。
「ねえ、はなこちゃん、たろう君のこと好きなんでしょう～」
「ええ！違うわよ。逆よ逆！マジでうざいんだから」
好いた惚れた、くっついた別れたという定番のあるある話がひっきりなしに飛び交い、楽しい夜の始まりでした。

ところが、３０分ほど盛り上がっていると、何やら外から、ざわざわと音が聞こえてきました。
「何か、庭の方から足音が聞こえるね」
それは馬の蹄の音でした。
パカパッカパッカパカパカパカパカパカ・・・
「お寺で馬を飼ってるんだね。どこにいるんだろう～。明日見に行こうか？」
「良いねえ、お馬さんかわいいものね」

そして、庭の砂利石を踏むような草履の音が聞こえて来ました。
ジャッジャジャリジャリジャリジャリ・・・
「こんな時間にお坊さんって、修行をするんだね。
私絶対に無理だわ～朝４時に起きて掃除とかマジ勘弁！」
ジャジャジャジャジャジャッジャ！
足音は小走りに庭を駆け抜けて行きます。
「ねえ、どんな修行してるのかな？気になるよね」
「５０メートル走とか？」
「いや、野球部じゃないからさ～」
そんな勝手な想像をして楽しんでいると、ボウボーボボボボボーという笛を吹くような音が聞こえて来ました。
「え？あれって、ほら時代劇なんかでよく吹くホラ貝ってやつじゃない？」
「ああ、ほんとそれそれ」
「お坊さん、戦でも始めるの～」
「あははは！ウケるわー」
次の瞬間、ドーンと大きな音が鳴り、ウワーオワーワアアアアアアと大勢の男の人の声が響いて来ました。
馬のいななき、砂利を蹴散らす音、何かが飛び交う音。それはまるで、
「ねえ、これって戦国の合戦の音じゃない？」
さっきまでの楽しい雰囲気が一変し、部屋の空気が一瞬で凍り付きました。