生きる希望をくれた傘
投稿者:活動休止中 (2)
私は高校に入学してすぐに苛烈ないじめを受けるようになった。
最終的には友達だったはずの男子生徒から暴力を受けて、自主退学するしかない状況に追い込まれてしまった。
それでもすぐには退学が認められず、登校しなくてはいけなかった。正直なところ、今日こそは死のうと思いながら、無理やり登下校していた。
そんな六月のある日、夕方から雨が降ったことがあった。私はあいにく傘を持っておらず、傘を貸してくれるような人も、もう学校には誰一人いなかった。
傘を買うお金すらなく、雨に濡れて帰っていると、自然と涙が出てきた。ずぶ濡れの私を、通りかかる人は変な目で見ていた。
もう、このまま死んでしまってもいい。そうとさえ思えた。
「大丈夫? まだ若いんだから、雨に濡れちゃ駄目よ」
すると、最寄駅から自宅に帰る途中、そう言って、傘を差し出してくれた人がいた。おばさん、というよりは、おばあさんに近いぐらいの年齢の女性だった。
私は人の好意が受け入れられなくなっていたので、それすらも無視して行こうとした。
ところが、おばあさんは私の失礼な態度にも関わらず、私を傘に入れて一緒に歩いてくれたのだ。
「私にもつらいときがあったから。負けないで。この傘はあげるから」
そんなことを言って、その人は自宅らしき家に入っていった。入るところまでは、はっきりと見えなかった。
私はそのことが生きる希望となり、じきに無事に高校も退学できた。
落ち着いてから、記憶を頼りにおばあさんの家に、借りた傘と菓子折りを持って尋ねにいった。
緊張しながらチャイムを押すと、おばあさんにそっくりだが、なんとなく違う人が出てきた。
雨の日の一件を話したが、相手は怪訝そうな顔をしている。どうも、娘さんのようだった。
この傘は確かに母の傘だ、とも言って、娘さんは泣き出してしまった。私は訳がわからないまま、もらい泣きした。
「お母様にお礼が言いたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「私にもわからないの」
娘さんは、不可解なことを言う。
「母は認知症で徘徊するようになってから行方不明になったの。もう数十年はたつから、生きているとは思えないのだけれど……私も、会えるものなら会いたいわ」
私は絶句し、そういえば近くの電柱に、行方不明者を探していますというボロボロのポスターが貼ってあったなと思った。
その行方不明者は、確かにあのときのおばあさんだった。
怖いけど、救いのあるお話。しかも実体験とかすごいですね。
作者です。
コメントありがとうございます。
そのようにおっしゃっていただけるとうれしいです。
感謝申し上げます。
切ない話。
超いい話。
貴方は、これから心の痛みの分かる素敵な人になりますね。
ばあちゃんヤサツ
つらい時があった、今はつらくはないってことだね。娘さん、お母さんつらくないって。だからもう心配しなくていいよ。