仕事を終えた健司が会社を出たのは、午後十一時を過ぎた頃だった。
終電にはまだ間に合う時間だったが、頭を冷やしたくて、彼はあえて一駅手前で降りることにした。住宅街を抜ける近道を通れば、自宅まで歩いて二十分ほどだ。
街灯がまばらな路地に入ると、自分の革靴の音だけが、やけに大きく響いた。
——コツン、コツン。
風もない、生ぬるい夜だった。アスファルトに落ちた自分の影が、街灯を通り過ぎるたびに伸びたり縮んだりする。それを見ているうちに、健司はふと違和感を覚えた。
自分の足音に、もう一つ別の足音が混ざっている。
——コツン、ぺた。コツン、ぺた。
革靴の音の合間に、素足のような、湿った音が一拍遅れてついてくる。
健司は立ち止まった。すると、その音もぴたりと止んだ。
「……気のせいか」
呟いて、また歩き出す。すると、また聞こえる。ぺた、ぺた、ぺた——今度は、さっきより速いリズムで。
振り返ろうとして、彼はやめた。なぜか、振り返ってはいけない気がした。代わりに、道端に停まっていた車のサイドミラーに、そっと目をやる。
ミラーに映る夜の路地には、誰もいなかった。
ほっと息を吐いた、その瞬間。
ミラーの中の自分の背中の、すぐ後ろ——そこに、白い顔が、にゅう、と覗き込んでいた。女とも男ともつかない、輪郭のぼやけた顔だった。
健司は走り出した。革靴のまま、転びそうになりながら、必死に走った。背後のぺた、ぺたという音は、もう隠そうともせず、すぐ耳元まで迫っていた。
ようやく見えた自宅マンションの階段を、彼は二段飛ばしで駆け上がった。三階の自分の部屋。鍵を鍵穴に差し込む手が震える。ドアを開け、中に飛び込み、後ろ手に勢いよく閉めた。
ガチャン、と鍵をかける。
肩で息をしながら、彼はドアにもたれかかった。心臓が口から飛び出しそうだった。
——大丈夫だ。家に着いた。もう大丈夫だ。
何度もそう自分に言い聞かせ、ようやく呼吸が整ってきた。
「……はは、俺、なにビビってんだ」
乾いた笑いが漏れる。玄関の暖かい照明が、さっきまでの闇を追い払ってくれるようだった。
さて、靴を脱ごう。
健司はうつむいて、自分の足元に目を落とした。
自分の黒い革靴。
その斜め後ろ——ちょうど、自分の右肩の真下あたりに。
濡れた素足の足跡が、ぺたり、と残っていた。
健司の思考が、止まった。
足跡の向きは、玄関の外側ではなく、彼と同じ方向を向いていた。まるで、誰かが彼のすぐ後ろにぴたりと寄り添って、一緒にこの家に入ってきたかのように。

























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