奥まったテーブル席で、二人の男は向かい合って腰を下ろしていた。通路を挟んだ隣のテーブルからは、サラリーマンらしき男たちの笑い声が聞こえてくる。奥の席では若者たちが就活の話らしいことで盛り上がっていた。テーブルの上には、突き出しの小鉢と、二つの生ビールのジョッキが並んでいる。
「珍しいな、お前から飲みに誘われるなんて。最後に会ってからもう何年ぶりだ? 確か、最後に会った時は転職するとか何とか言ってなかったっけ?」
向かいの席の男が問うと、誘った側の男は静かにジョッキを傾けた。仕事帰りだというワイシャツの襟元は少しくたびれていたが、表情には妙な落ち着きがあった。
「まぁ、色々あってね。数少ない友人であるお前に話を聞いてもらおうと思って」
男は薄く笑ってそう答えた。
「なあ、お前って確かオカルトとか怖い話が好きだったよな。そんなお前にぜひ聞いてもらいたい話があってさ」
向かいの男は思わず眉を上げた。
「突然何だよ」
「いや、お前が好きそうな話を仕入れたからさ、是非聞いて欲しくてさ」
男はビールをひとくち呷って、ゆっくりと話し始めた。
「ある保育園の話だ、そこに一人の保育士がいた。三十を過ぎた、独身の男だ。その男は真面目で熱心な性格で、いつも園児の事を気にかけていたそうだ。父の日が近づいてきた頃なんだが、その保育園では毎年、その時期になると子どもたちにお父さんの絵を描いてもらう恒例行事があってな。男もその日、いつものように子どもたちを集めて、画用紙とクレヨンを配って回っていた」
「その時にあったことを思い出しながら描いてみようね。何枚でも描いていいからね」
男は子どもたちにそう声をかけ、机の間を回った。子どもたちはそれぞれに自分の父親を思い浮かべながら、クレヨンを握って画用紙に向かい始める。
「うん、上手に描けてるね」
「お父さんとお出かけしたんだ、いいねぇ」
そう言って回りながら、一人ひとりの絵を丁寧に見て回った。
ただ、一人だけ、特別に気にかけている子がいた。
いや、正確に言えば、男が気にかけていたのは、その子の母親の方だ。
「そうだな、今回はその園児をA君、お母さんの事をB子さんとでも呼ぼうかな」
男はそう言って、ビールをひとくち含んだ。向かいの男は、静かに続きを待っている。
「送り迎えの時に見かける、B子さんの姿にその男は惹かれていた。柔らかい笑顔、丁寧な所作、ふとした瞬間に見せる少し疲れたような横顔。そのすべてが、男の中で少しずつ大きくなっていった」
あの人が欲しい。あの人と一緒に暮らしたい。あの人の隣で笑い合いたい。男はそんなことばかり考えるようになっていた。だが、相手には旦那さんがいる。子どももいる。まっとうな方法では、男の望みは絶対に叶わない。それは本人にも分かっていた。
その日のお昼寝の時間、子どもたちがみな布団に入り、部屋が静かになった頃、男は連絡帳を書くために机に向かっていた。子どもたちの規則的な寝息だけが部屋に響いている。カーテンの隙間から差し込む午後の光が、床に長い影を落としていた。
男はぼんやりと空を眺め、旦那さんがいなくなったら、B子さんの隣にいられるようになるのかな……と、そんな子供じみた考えが頭をよぎった。
そんな事を考えていると、ずっと前にネットのどこかで見かけた話をふと思い出した。SNSだったか、掲示板だったか、そこはもう覚えていない。呪いたい相手の写真に、対象者への気持ちを込めて針や釘のような鋭利なもので刺すと効くらしい、そんな話だった。
連絡帳を書く手を止めた。
お昼寝の前にA君が描いた父親の絵が頭を過る。
写真も、絵も、大して変わらないんじゃないか。
男の頭に、そんな考えが浮かんだ。むしろ、子どもが思いを込めて描いた絵の方が、よっぽど効果があるんじゃないか。数秒のうちに、男の中で自分に都合のいい理屈が組み上がっていった。
ゆっくりと部屋の中を見回した。子どもたちはみな、規則的な寝息を立てて眠っていた。もう一人の担当保育士は、休憩のために部屋を出ている。誰も、この場を見ている者はいなかった。
























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