結婚式場で働いていた頃の話だ。
そこは戦前の洋館を改装した古い建物で、天井は高く、廊下は無駄に長く、夜になると自分の足音がいつまでも後ろから追いかけてくるような場所だった。
スタッフの間には、誰も表では口にしない習慣があった。
館の各フロアのバックヤードには、地下のクリーニング室へと続く真鍮製のダストシュートがある。
営業が終わり、館内の灯りが落ちたあと、そのシューターにメモを落とす。
「メインテーブルのクロス、ワインのシミ抜き至急」
「銀食器の曇り、全部磨き直し」
そんな指示を書いた紙をクリップで留めて落とすのだ。
翌朝、すべて終わっている。
クロスは糊の効いた状態でパントリーに畳まれている。
銀食器は新品のように光っている。
アンティーク家具の傷まで、いつの間にか消えている。
新人の頃は、冗談だと思った。
だが先輩に言われて試してみると、本当に翌朝には作業が終わっていた。
誰がやっているのかは、誰も知らない。
地下のクリーニング室は夜には施錠されているし、清掃スタッフは早い時間に帰る。
それでも、シューターに落とした依頼は、必ず片付く。
いつから始まったのかも分からない。
ただ、私が入社した時点で、先輩たちは当たり前のようにそれを使っていた。
皆、冗談半分でその存在をこう呼んでいた。
「地下の仕立て屋さん」
ある夜、先輩の一人がふざけてメモの隅にこう書いた。
「いつも助かります。何かお礼は必要ですか?」
翌朝、パントリーの作業台に見慣れない紙が置かれていた。
黄ばんだ古い紙だった。
そこに万年筆のインクで、ただ一言。
「真鍮のボタン」
先輩は制服の予備からボタンを一つ切り取り、作業台の隅に置いた。
翌日、それは消えていた。
それ以来、依頼をしたときはボタンを一つ置く。
誰が言い出したわけでもないのに、自然とそのルールができた。





























《解説》
※いみがわからない人だけよんでください。
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この言葉の意味は、こういうことだ。
「次は、後ろを向いている人」
これは、
もうボタンでは足りないから、次は人が必要だ
という意味になる。
最初、式場の人たちは「地下の仕立て屋」に仕事を頼むとき、
お礼として 真鍮のボタン を置いていた。
クロスをきれいにしたり、グラスを直したりしてもらったお礼だ。
でも長いあいだ、たくさんの仕事を頼みすぎて、
ボタンだけでは お礼が足りなくなってしまった 。
だから仕立て屋は言った。
「まだ足りない」
そして続けてこう書いた。
「次は、後ろを向いている人」
どういうことかというと、
シューターに紙を落とす人は、いつも 穴のほうを向いている 。
そのとき、背中は 後ろ を向いている。
つまり、その人の すぐ後ろ に、
仕立て屋が立っているかもしれない、ということだ。
そして「次は後ろを向いている人」というのは、
今度のお礼は、ボタンじゃなくて、その人自身になる
という意味になる。