入院費自体は母の医療保険や年金で何とかまかなえたが、それもいつまでできるかわからない。
ただ、母の気持ちや病院での待遇を考えると、いつまでも病院のベッドに縛り付けるわけにもいかない。
そう思って、最近は医療サービス付きのいわゆるケアハウスについていろいろ調べたりパンフレットを取り寄せていた。
サービス内容を見ていくと施設によって差はあるが、入所時にかかる費用や月々の利用料はどこも高額だった。
今の自分にとって、わずかな貯金では最初は何とかなっても後が続かないだろう。
その費用をどうやって工面するか、これから大変なことになるのは明白だった。
父が残してくれた自宅を売却しても大した金額にはならないようだし、母が戻ってくるはずの家が無くなっては意味がない。
一体俺はどうしたらいいのだろうか。
母が入院した頃から、俺は近くのR山のふもとにある小さな神社まで夜の散歩をするのが習慣になった。
親孝行というか、神頼みではないが、雨が降ってなければ神社へ行き、毎日はお賽銭を用意できないから、週の初めに500円玉を賽銭箱に入れてお参りをする。
お参りをするたびに、父がいた頃、そして母が元気だった頃に何かできなかったのか、自問自答をしていた。
俺にはこの程度の事しかできなかった。
ある満月の夜にいつものお参りをしたあと、わざと参道から逸れて木々の生い茂った奥へと行ってみた。
この夜中に周りがよく見えないまま鬱蒼とした森林の中を進んでいく。
参道の近くは人の手が入っていたようで、無駄な木々は間引きされていたから歩いていくのはそれほど苦にならなかった。
奥に入っていくにつれて樹木が密集していて、その中に目を引く1本の大木があった。
足元に気を付けながら近づくと、何本か伸びている枝ぶりも立派で幹がかなり太い立派な大木だった。
気が付くと、俺はすっかりその大木に魅入られてしまっていた。
さすがにこんな夜中にこんなところで一人でいるのは不審者だと言われても仕方がないので帰ることにした。
しかし、いざ参道へ戻ろうとするとその方向が分からなくなっていた。
ここから参道は見えないし、つまり参道からもここは見えないという事だろう。
迷いながらもなんとか参道へ出ることができて、参道から例の大木へ行く道筋も大体わかった。
その後家に帰ると、またケアハウスのパンフレットが届いていた。
いくつかパンフレットが揃ったから、近いうちに母に選んでもらわないといけない。
そして、これからの事についていろいろと用意しないといけない。
自分が入っている保険についての証書や印鑑と預金通帳、念のために実印もいるだろう。
あとは立派なロープさえあればいい。


























自殺だと保険金が下りない場合もありますよね……一般論かもしれませんが、息子が自殺してそれで施設に入れても、お母様は幸せなのでしょうか……悩ましい所ですね。