いわゆる氷河期世代の俺は、年老いた母と二人で暮らしている。
ただ、母は具合を悪くして長いこと入院しているから、近いうちに医療付きのケアハウスの入所を計画している。
少し詳しい話をする。
俺の父は小さいながらも工場を経営していた。
俺が高校生の頃はちょうどバブルの時期で、俺は何となくこの工場を継ぐだろうと思っていたから、有名ではないがある大学の工学部に進学した。
大学に入学した当時は、この景気なら卒業後も安心して問題なく就職ができると言われていた。
まだはっきりと父の工場を継ぐかどうかなんて決めてないし、父から何も言われてはいないから、どこかに就職して経験を積んで、工場を継ぐならその後でいいという家族の雰囲気だった。
父は工場の経営で忙しく、最低限の家族サービスくらいはしていたが、遠くへ家族旅行などした記憶はほとんどない。
母は一人息子の俺を溺愛していると言えば大げさだが、とても大事に育てられてきた。
しかし思い起こせば、俺は今まで親孝行らしいことをしてこなかったのではないかと思っていた。
俺は今まで大きな病気やけがなどは無く、入院したのは盲腸の手術の時くらいで、自分で言うのもなんだが、俺は割とまじめな性格で、親の期待に沿った人生を送ってきたと思う。
だから、大学を卒業して就職したら忙しい両親をせめて旅行にでも連れてってやろう、そんなことを何となく考えていた。
ところが、大学に進学してしばらくするとバブルが弾けた。
就職活動を始める時期になるとその影響は大きく、あらゆる企業が採用枠を減らしたり、採用自体をとりやめる企業が続出していた。
そのせいで内定がもらえない学生があぶれ、就職浪人となりフリーターとなる人さえ出る始末だった。
もちろん、その真っ只中にいた俺も例外ではなかった。
俺は何社も会社訪問や面接を繰り返して運よく小さな設計事務所に就職できたが、文系に進んだ学生の中には、100社以上申し込んだにもかかわらず内定がもらえずにノイローゼになって自殺した人もいたと聞いた。
会社ではなんとか働いてはいたが、新卒で無名大学出身の俺はなかなか周りに付いていけず、しかも体調を崩して2年もたたずに会社を辞めてしまった。
世間ではその後就職難が何年も続き、一度会社を辞めてしまった俺のような人間は、あとは転げるように職を転々とするしかなかった。
父からすれば、そんな状況の俺を工場で働かせるような気持にはならなかったようだった。
父の工場は自動車メーカーの孫請けがメインだったから、バブル崩壊で車が売れなくなると工場もうまく立ち行かなくなっていった。
そして悪いことは重なり、しだいに安い海外部品のメーカーが進出してきて、国内の中小企業は軒並み大打撃を受けた。
当然父の工場もその波に飲まれ、しだいにその規模を縮小してはいたが、借金が増え続けて結局工場を畳むこととなった。
その後不動産として工場を売却してもまだ借金が残り、その全額を返せるあてもないと悟った父は首を吊った。
保険金のおかげで小さな自宅だけは何とか手放さないで済んだが、それからは俺のわずかな稼ぎと母の年金での生活になった。
俺はもっと稼げる仕事がないか必死に探していたが、年齢や職歴で門前払いも多く、面接まで進んでもなかなか採用されなかった。
いくつかの資格も取っていたのだが、その資格を使った実務経験がないと言われるとどうしようもなかった。
そんな時に母の心臓の持病が悪化し、長期の入院をせざるを得ない状況になった。
病室では自由に動けない上に、病院の食事は好みの物が出ないことが多いことも母の不満だったようで、見舞いに行くたびに母はやせ細っていった。

























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