私が見たのはこの『エミカカシ』だったというのだろうか。
「カカシって、畑の作物を鳥とか動物から守るための道具って思われがちだけど、実は神様や妖怪としての側面もあるんだよね」
ミコ曰く、カカシは古くから田畑に豊穣をもたらす神の依り代であると同時に、使い古した蓑笠を身に付けていたことから、異界からの来訪者としても祀られてきたのだと言った。実際、カカシが人間に化けて人前に現れたという伝承が全国に残されているのだそうだ。父が調べていたのは曲神山(くまがみやま)周辺の伝承で、その中の一つがこの『エミカカシ』だった。
「もちろん、それらの伝承は地域によってところどころ違いがある。その多くが神様に近い形で富や豊作をもたらしたーってやつなんだけど、どうやらここ、深水町ではちょっと変わった伝承があるみたい」
そう言ってミコは父の本に目をやる。
「ほらここに」
そこには、エミカカシの伝承が書かれていた。
『与兵衛とエミカカシ』
古来、深水(ふかみ)の民は豊穣を祈願する祭りの際、一本の案山子を皆で作ったそうだ。それをエミカカシと称し、相まみえる折には豊穣に対する感謝の意を込め、必ず微笑みを見せるようにしたと伝わる。エミカカシの語源はこれに由来するという説が有力である。深水の民はエミカカシを“えめっさん”や“えみさん”と呼称し、親しみをもって接していた。
ところが、西上に住む与兵衛という者がこれを忌み嫌い、微笑みを見せる村の民を戒めることもあったそうだ。特に与兵衛が思いを寄せていたというハナという娘には、大層きつくあたったそうだ。治水事業を行っていた与兵衛にとって、五穀豊穣の功績がエミカカシだけのものであるかのように村人が振舞うのは気に食わなかったのであろう。
ある折、疎水の完成を祝って、村で宴が開かれた。それに参加した与兵衛は、月が見えなくなるまで酒を飲み明かし、大いに楽しんだそうだ。そして、うちに帰った与兵衛は、すぐに眠りについたという。ところが、夜が明けるか明けぬかといった頃、与兵衛の家の戸を叩くものが居った。与兵衛が誰じゃと何度も声をかけるが返事はない。しびれを切らした与兵衛が戸を開けると、そこにはハナがいた。なんだ、おハナじゃないか。与兵衛がそう言うが、ハナは何も言わず、ただただ微笑み続けたそうだ。なにかおかしい。与兵衛はそう感じたが、酔いも手伝うて、ハナを家に招き入れてしまった。
その後、与兵衛を見た者は誰一人としていない。村人たちは与兵衛がえめっさんの祟りに遭うたと噂した。それから村人たちはえめっさんを大層恐れるようになった。深水の外れにある社は、その怒りを鎮めるために建てられたとも言われている。以後、えめっさんを邪険に扱う者はいなくなり、その祟りは無事に鎮まった。
なお村の治水を先導した功績を讃え、時音疎水には与兵衛の石碑が今でも残されている―――――
〇
「これがエミカカシの伝承。ちょっと変わっているでしょ?」
昔話とは縁遠い生活を送っているので、この話のどこが変わっているのか、皆目見当もつかなかった。
「って言ってもわからないか。この話のおかしいところはね・・・ここだよ」
ミコは、与兵衛がおハナを招き入れた部分を指さした。
「与兵衛はおハナを招き入れ、それから姿を消した。これってあまりに短絡的だと思わない?」
言われて気が付く。
「確かに、もう少しどう殺したとか、山に連れ去ったとかそんな描写があってもいいかも」
「その通り。それにこの話のおかしいところはもう一つある。これが起きた時って、家には与兵衛しかいなかったはず。一体、誰がこの出来事を見聞きしたの?」
思わず、感嘆の声が漏れ出す。ミコの言うとおりだ。伝承というバイアスがその点を曖昧にしていて、パッと見ただけでは気づかなかった。
「あなたのお父さん、過去に新聞や雑誌にもこうした伝承を書き綴っていたみたいでさ。でもそこではもっと具体的にエピソードが書かれていた。それに伝聞した場所や人の名前も事細かにね。つまり・・・」
ミコが私の目を見つめる。
「この書き方は恐らく、意図したものだと思う」
私は一瞬、固まった。
「意図したものって・・・」
「いい? ここからはあくまで私の推測」
そう前置きしてミコは話し始めた。
























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