鈍い音を立てながら、トンネルが崩壊していく。と同時に、作業員の人達が私達めがけて走ってきた。何かを叫んでいるように見えたが、崩壊音が大きく聞こえない。
なにもかも怖くなり、私は逃げようとしたが、足が動かない。
完全に腰が抜けている。
動揺していたが友人は私よりは落ち着いていたらしく、足が動いたようだ。
「なにしてんだ!!」
友人は私の手を引っ張ると、もと来た道をダッシュした。
自分が逃げるだけでも必死なはずなのに、私のことも助けてくれた友人には感謝してもしきれない。
作業員の人も逃げていて、叫び声が聞こえた。
中には、「助け…」とかすれた声も聞こえ、聞くに耐えなかった。
助けたかった。
トンネルの崩壊は早かった。崩壊開始地点から離れたところから逃げ始めていた私達でも、トンネルを抜けたところでは危うく巻き込まれるところだった。
それは酷い惨状だった。
壊れたトンネルは上からの土砂に押し流され、私達は作業員の人達について消息もわからなかった。
その日はコンビニまで行く気もキャッチボールなんてする気も起きず、各自そのまま家に帰った。
家では親にあったことを話すと、後日見に行くことになった。私は友人も誘ってどうなったかを見に行った。
次の日、8月17日だ。丁度お盆も終わったときだった。
トンネルはもとに戻っていた。
何も言えなかった。ただポカーンとして、呆れる親の横で友人と2人トンネルをずっと見ていた。
そして家に帰ってそのトンネルのことを調べてみて、絶句した。
まさかの数十年前の8月16日の朝、そのトンネルは1度崩壊していた。そして、3名の死者を出していた。
馬鹿な私でもわかる。「そういう」ことだろう。恐らく、数十年前の8月16日に、昨日の事故が起こったらしい。友人とも話してお互い確信を持った。
何らかの事情でトンネル工事がうまくいかなくて、あの作業員達はトンネルを壊していたのだろう。
労働環境が酷かったのは言うまでもない。
なぜライトがなかったのかはわからないが、私達はあの日あったことを2度と忘れない。
その後黙祷を捧げた私達は、以後行動は慎重に、準備もしっかりするようになった。
























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