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妖怪・風習・伝奇

てしおかゆみさんによる妖怪・風習・伝奇にまつわる怖い話の投稿です

黒い山
短編 2026/03/08 03:51 36view

これは僕が子どもの時の話です。
その山は、山と呼ぶにはあまりに平坦で、まるで巨大な獣がうずくまっているような、なだらかな稜線を描いていました。
僕は両親の仕事の都合で、その麓にある祖母の家に預けられていました。
転校先の小学校では、康太というガキ大将に目をつけられていました。
教科書を隠される、給食を減らされる。無視される。
都会から来た「余所者」の僕にとって、唯一の安らぎは、裏山のさらに奥にある古びた祠にお参りすることだけでした。
毎朝、澄んだ水をペットボトルに汲み、祠に供える。「ヤマガミ様、しずめたまえ、まもりたまえ」
祖母から教わった祈りの詞(ことば)を唱えるときだけ、僕は静かで心地の良い空気に包まれる。そんな時間が好きでした。

異変が起きたのは、梅雨入りを控えた湿った朝のことでした。
祠が、ひどく汚されていたのです。
供えていた水はぶちまけられ、湯呑みは粉々に砕かれ、執拗に泥が塗りつけられていました。
僕は学校を休み、無我夢中で祠を拭き清めました。
しかし、翌朝も、その翌朝も、泥の汚れはさらに酷くなっていました。
「誰が……こんなことを」

三日目の朝、愕然とする僕の前に人ではない、と分かるモノが立っていました。
一人は、漆黒の装束に身を包み、身の丈ほどもある巨大な鎌を手にした、鋭い眼光の男。もう一人は、透き通るような肌に銀の髪をなびかせた、不釣り合いに明るい表情の少女。
「……祠を汚すニンゲンは、お前か?」
男が、地を這うような声で問いかけてきました。僕は震えながら首を振りました。
「そうか。だが、もう遅い」
「黒鵺、そんな言い方じゃ人の子には伝わらないわ」
ユキメと自らを名乗る少女が男をたしなめ、僕に笑顔を向けてくれました。
黒鵺は舌打ちをすると冷たい目で僕を見て言葉を続けました。。
「お前ら人間が、ヤマガミの住処を穢し、ヤマガミはここを去った。この山は、もう死んでいる。これから俺はヤマガミの命により穢したモノを狩る」
「人の子、早く逃げなさい」
ユキメがそう言い、ふたりは霧に溶けるように消えていきました。
「ヤマガミ様がいなくなった……」
僕の心臓は嫌な音を立て、鉛のように重くなっていました。
僕は山を駆け下り、祖母にすべてを話しました。

ヤマガミ信仰の残る集落は、僕の言葉に色めき立ちました。
しかし、康太だけは鼻で笑ったのです。
「ただの土砂崩れ予報だろ? 迷信深えんだよ、ジジババも、この嘘つき野郎も!」
翌朝、康太の姿がなくなりました。そして、大人たちが慌てる中、それは始まりました。
空は不気味なほど晴れ渡っているのに、山の奥から「ズズ、ズズ」と、巨大な怪物が粥を啜るような音が聞こえてきたのです。
避難場所の小学校の校舎から僕が見たのは、なだらかだったはずの山が、まるで意思を持った泥の津波となって、集落を飲み込んでいく光景でした。
家も、田畑もすべて……泥の中に消えていきました。
ニュースでは「記録的な地盤の緩みによる大規模土砂災害」と報じられました。だけど違うのだと誰もが気づいていました。
僕は迎えに来た両親と祖母と共に、何もなくなった集落を後にすることになりました。
電車に座ると、黒鵺とユキメが僕の前に現れました。
「ヤマガミがね、ありがとうって君に」
ユキメがそう言い、ふたりの姿は消えていきました。
電車が動き出しました。
僕の手のひらには、あの朝、祠を拭いたときにこびりついた泥の感触が、今も消えずに残っているような気がしてなりません。

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