子供が泣く家
投稿者:きのこ (12)
姿は見えないが、何かが近くにいるのは確かなので、小さな耳鳴りと頭痛は続いている。幼い頃からよく経験する事とはいえ、やはり慣れない。先輩のように、霊感が強くても、体調不良にならない人が羨うらやましい。
そこから30分程、出されたお菓子を食べながら、アルバイト先の話をしていた。最近、従業員同士で付き合い始めた人がいるとか、全然バイト代が上がらないとか、なんでもない話だ。あまり興味がないので、飽きてくる。
———早く帰りたいんだけどな、そう思った時だった。
急に、子供が大きな声で泣き始めた。
驚いた私が子供の顔を見ると、先輩も眉間に皺しわを寄せて、子供を見ている。
———何かが、家の中に入ってきた……。
私が身体にグッと力を入れると、廊下からは何かを スー…スー…、と引きずるような音が聞こえる。背中がぞくりとして、一気に全身に痛いくらいの鳥肌が立つ。
廊下にいるものの気配は、玄関からというよりも、隣の部屋からそのまま入ってきたような感じだ。そして音が近付いてくると、ドアのすりガラスになっている部分に、黒い影が視えた。
「先輩、あれって……」
私が言うと先輩は、人差し指を口元にあて、「しー」と口から息を漏もらす。喋るな、という意味だと理解した私が口を噤つぐむと、黒い影は廊下の奥の方へ移動して行った。
また何かを引きずっているような、スー…スー…、という音が続いた後、急に静かになったが、相変わらず廊下には妙な気配を感じる。すると先輩が、
「ほら、行ってきて」と、事もなげに言い放った。
「えっ?」間違いなく何かがいるので、正直行きたくない。
「いや、足を引きずるような音もしてたし、影も視えたんで、子供が泣くのはそのせいですよ」
私は、行きたくない、という意味で言った。
「何がいるか分からなかったら、意味ないでしょ。ほら、早く!」
先輩は私を無理やり立たせて、廊下の方へ押す。未成年に何かを無理強いするのは、罪にはならないのだろうか?
私が仕方なくドアを開けて廊下に出ると、ひんやりとした空気を感じる。頭の奥の方が突き刺すように痛んだ。
———なんで、こんな事に……。
後悔しても、もうどうにもならない。行きたくはないが、子供が目の前で泣いているのを放ってもおけず、大きく息を吸ってから、足を踏み出した。
妙な気配を感じるのは、廊下の奥にあるトイレだ。
そぉっと廊下を歩いて、トイレへ向かう。
悪意があるものなのか、そうでないのかの判断がつかないので、できれば気付かれずに確認したい。
音を立てないように、ゆっくりとトイレのドアを開ける。
すると、中から冷たい空気が出てきて、ふわっと手に当たった。まるで真冬の川の中に手を入れたみたいだ。頭痛もどんどん酷くなって行く。
そして、中をそっと覗くと、黒い服を着た男性が、後ろ向きに立っているのが目に入った。
立ち姿や服装からすると、若い男性に視える。
いつもは霊体がぼんやりとしか視えない私が、はっきりと視えているのに、なぜ霊感が強い先輩には視えなかったのだろう。先輩が「波長が合わないと、視えないことがある」と言っていたので、私は男性と波長が合っているのだと思うが、全く嬉しくはない。
ここにいる、と分かっていてドアを開けたが、やはり目の前で視ると、恐怖を感じる。私が人ならざるものの顔が分からないのが、せめてもの救いだ。私が霊感があるという秘密を知っている友人にも、怖くないのか、と訊かれるが、もし顔が見えていたら、やはり怖いと思う。
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