澁谷はそこを凝視してから「あっ!」と小さく悲鳴を上げた。
それは人だった。
真っ黒い影のようなその人は懸命に両手を上げてから手を振っているようだ。
まるでここにいる澁谷にこっちに来いよと言ってるように。
─田中さん?
根拠はないのだが彼はなんとなくそう思った。
すると突然デスク上の電話が鳴り出す。
内線電話のようだ。
澁谷は慌てて受話器を取ると、耳にあてた。
「報告は?」
いきなり耳に飛び込んできた、ぶっきらぼうな男の声。
意味の分からない彼は「え?」とだけ呟く。
男は少し不機嫌な様子で「は?Mだけど、ファイルの焼却は済んだのか?と聞いてるんだ」と言った。
澁谷が慌てて「あ!M部長でしたか?すみません。焼却は先ほどおわりました」と応えると、部長は「報告くらいしっかりやれよな、サラリーマンの基本じゃねえか、全く使えないんだから」と言うと一方的にブツリと電話を切った。
※※※※※※※※※※
その時だ。
澁谷の片方の鼻からタラリとどす黒い血が流れ、ポトリと顎先から落ちた。
彼は無表情のまま受話器を置くと立ち上がり、窓際まで歩く。
そして窓を開け、思い切り外に向かって叫んだ。
「わあああああ!ああああ!ああああ、、、」
それこそ声が掠れてから出なくなるくらいになるまで。
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オカルト的な怖さより普通の人が正気を失って行く様がとても怖い。それが戦時下であれ企業であれ平気で追い詰めて行く人の存在はもっと怖い。
コメントありがとうございます
正に人間の所業こそが恐怖です
━ねこじろう
会社の人達(田中さんを含む)の主人公に対する接し方の違いが緻密に書かれているのが良い!主人公は「訳あり部署」で一人仕事をさせられる孤独感や虚しさ、哀しみを、田中さんとの会話で紛らわしていたのでしょうか。
このお話の田中さんが好きで、時々読みに来ています。総務部資料係の男性は温厚そうですが、本当に主人公に純粋な好感を寄せていたのでしょうか。穿った見方かもしれませんが、小癪な大学の同期が自滅行為をしてくれたので、安堵しているのかもと思いました。