私は『見える』わけでもないし、『感じる』わけでもない人間なのですが、
一度だけ『見える』側になりそうになった事がある。
それは京都の有名な千本鳥居の場所。
あそこは夕方(黄昏時)には行っては行けないと知らず
夕刻に差し掛かる時間に観光がてら行った。
初めは観光客で賑わっていたが山頂に近づくにつれ人気がなくなり、一人観光するにはもってこいのまばらな人数が残っていた。
帰りも鳥居をくぐりながら麓を目指していたのだが、
気が付くと先程より道と鳥居がぐにゃぐにゃ蛇行している。
ーはて、こんなに歩きづらかっただろうか?
徐々に墓石が増えいよいよ怖くなり足が止まった。
引き返すべきか、進むべきか悩んでいると、
突然後ろから肩を掴まれた。
驚いて振り返ると見知らぬおじいさんが怪訝な顔でこちらを見ていた気がする。
「あんた狐に化かされとらんか!」
と大声で言われてたじろいだ。
聞けば酔っているのかと思う程千鳥足で今にも転んでしまいそうだったとのこと。
ーいえ、いえ、私は鳥居に沿って歩いていただけで、
と説明しながらもう一度前を見ると蛇行道はおろか鳥居すらない場所だった。
「黄昏時は迷い込みやすいから来ない方がいい。あんたは狙われやすいから気をつけんさい」
とあるべき道へ戻されながら注意された、おじいさんは終始大声だったが、話をしながら降りると無事に帰ることができた。
お礼を言おうと振り返ると、もうそこにはおじいさんは居なかった。
確かに私の後ろを歩いていたはずだったのだが。
なぜ消えてしまったのか、そもそも、あのおじいさんはなぜあんな変な場所を歩く私を見つけられたのか、なぜおじいさんの顔がうまく思い出せないのか。
果たして私は一体何に化かされたのだろうか。
勉強になりました。
助けてくれたおじさんはその地の神様だったのでは?
背後で護ってくれている方が具現化して現れたのでしょうか…
ご身内に声の大きなお爺さんがいらしたのでは?
そのおじいさんが、前に話した道祖神だったらいいのにな、と密かに思ってる
声のでかいおじいさん、ありがとう。
魅力的で読みやすい文章です。