禁足地と人柱
投稿者:セカンド (1)
俺の親父は中国地方某県の山奥出身なんだが、そこには恐ろしい風習があったそうだ。
と言っても、当時の俺はその内容を知らなかった。
親父曰く、口にするのもおぞましい行為が繰り広げられるもので、まだ子供の俺に全容を話そうとしなかったからだ。
そんな俺も高校生になって、親父の故郷の話なんてすっかり忘れていた。
学校が夏休みに入って少しした時、食事中に親父が張り詰めた面持ちで「…お盆は実家に戻らないといけない」とこぼす。
親父の実家には年に一度行く事があるかないかの頻度だが、この日ほど親父が憔悴した様に切り出した事はない。
「あら、そう」
親父と打って変わっておふくろは淡々と冷め切っていたが、俺はどことなく不安を抱いていた。
お盆当日、俺達家族は身支度を整えて車に乗り込む。
これから片道2時間弱かけて祖父の家に行くのかと思えば、めんどくさいを通り越して仮眠できると割り切っていたが、親父は何やらソワソワした様に親指の爪を噛みしめる。
そんな親父のあからさまな不安定な様子は初めて見たが、そんなに祖父の事が嫌いだったのだろうかと俺は朧げな記憶を引き出すも、さほど覚えている事が無い事に情けなくなった。
確か前回祖父に会ったのは俺が中学に進学した時だっただろうか。
あまり笑う事の無い祖父だったが、お小遣いはそれなりに奮発してくれたので、印象としては割と良い方だ。
ただ、その厳格さが俺の精神をすり減らしたのは間違いない事で、どこか苦手意識はあったが。
「〇〇、向こうについたらふざけたりするんじゃないぞ。ちゃんとお爺ちゃんの言う事を聞けよ」
「…あ、うん」
普段、口うるさい方ではない親父だが、何故かこの時だけは無表情に近い顔のまま運転し、後部座席でくつろいでいた俺にそんな事を言ってきた。
僅かにドキリと緊張した俺は、ただ他に言葉が出てこなくて素直に頷くだけだった。
約2時間後、広々とした土地と石垣を上る先に聳え立つ古風な日本家屋を前に俺は身構える。
祖父の家は相も変わらず古めかしいものだが、手入れされた庭先を見れば家主が健在であると一目で分かる。
玄関先の石畳の上を踏み歩いて、簡素なインターホンを押せば、数秒後に祖父が引き戸を開けた。
「おう、よう来たのう」
既に定年退職して隠居生活を送っている祖父だが、その恰幅は親父の体格と並ぶかそれ以上だった。
親父、おふくろ、そして俺へと流すような視線からは、威厳が衰えていないのが分かる。
おふくろからしたら義実家は肩身が狭そうに思えるが、祖父はそこら辺は器が広いのか本人が本当に気にしていないのか、良い意味では実の娘の様に「適当にくつろぎんさい」ともてなすし、悪い意味では無関心の様に思えた。
祖母は既に他界しているが、最後にあった記憶では温厚な人で俺も懐いていたとおふくろが言っていた。
おふくろも祖母には心を開いていたのか、一緒に料理したりするのが楽しかったとしみじみと語る事もある程だ。
そう考えると祖父が無機質になったのは祖母の他界が原因かと思ったが、親父に聞けば元々人間味に欠けた人だったと言われた。
夕食後、居間でテレビを見ながらゴロゴロしていると、親父が祖父と一緒に戻ってくるなり、
キョオオオオ!!
これぞ洒落怖って感じで面白かった
洒落怖入り候補ですね
個人的にはやっぱり小説っぽいのよりこういうテイストのほうが好きだな
Youtubeで聴きました。面白かったです。
おらこんな村嫌だ~。
似たような怖い話は、過去たくさん読んだり聞いたりしたから、なんとなくこうなるんだろうなと先は読めた。どんなに手を尽くしても助からない、足を踏み入れた段階で、死亡フラグが立つ人間が出る。命にも関わる話ような話なのに、大事な家族にきちんと伝えない他所の土地から嫁いできた嫁さんたちは、ブチ切れるのは当たり前。そんな、ツッコミどころ満載のはずの定番中の定番怪談でありがなら、ここまで読ませる文章力と表現力と破壊力。
親父さんの言う通り、「冗談だよ。冗談。」 「作り話だよ。当たり前だろう。」とビクビクしている。俺も田舎者。
凄く良かったです。
五回目の12年で60年。父親は5歳だったとしても、65歳、祖父は80~90歳。
高校生の俺は16~18歳。
かなりの高齢での息子なんだね。
↑別に父親、祖父が5回全部やったとは書いてなくね?
家族とか親族、村の人間って書いてあるんやで祖父の父とかがやったんじゃね
間違ってたらすまん
じわりじわり・・・と、怖さが増していきました。
方言がまんま地元と同じだから更に怖い
こええええええええええええ
キヨオオオオオオオオ!!!!!!!