「我が高校の開かずの扉」
投稿者:breath (13)
本日は僕の出身校である高校にある開かずの扉にまつわる怖い話を投稿していきたいと思いますので、宜しくお願い致します。
「楽しい高校生活」
中学を卒業して試験を受けて合格をして、高校へ入学しました。最初は皆、ぎこちない雰囲気でしたが、2日や3日経過するとすぐに仲良くなり、バカ話ばかりするようになりました。
そして、楽しい高校生活を堪能しました。
電話で話をしたり、メールをしたり、休日にはスケジュールが合えば一緒に遊びに行ったり等です。
普通の高校生の生活とはこのようなものだと思います。しかしながら、とても悲しい高校生活を送ったわが校の先輩がいたようです。
「我が高校の開かずの扉」
このお話は同級生と先輩から聞いたお話です。
同級生と先輩が「そういえばさ・・・うちの高校の開かずの扉って知ってる?」というので、僕は知りませんでしたので、「いや知らないなぁ」というと、先輩が「そうか。ちょっと教えてやるよ」ということで話し始めました。
時代は昭和に遡ります。西暦としては1970年代のお話になります。この時に、気弱な高校生が入学をしたそうです。
とても気弱だったために、皆に避けられていたようですが、スポーツもできて頭も良かったのが目障りに思った同級生がイジメを始めてしまったようです。
顔も中々男前だったようです。妬みもあるのでしょう。
イジメもどんどんエスカレートしていったようで、とても精神的に追い詰められてしまった彼は誰にも相談できずに、自殺をしてしまったようです。
せめてもの抵抗として遺書を残して、高校の中での自殺だったようです。しかも首つり自殺だったようで、遺体は悲惨な状態だったとか・・・
そこの部屋が開かずの扉とされているとのことでした。
「助けて・・・助けてくれ・・・」
僕はそのお話を聞いた時に、「そっか。そんなことがあったのかぁ」とやるせない気持ちになりました。
しかしながら、またいつも通りの楽しい高校生活に戻ったために、そのお話を忘れておりました。
そんな時に部活が終わり、帰り支度をしようと例の開かずの扉の前を通りました。
すると男の子の声で、ハッキリと「助けて」「た、た」「助けてくれ・・・」と聞こえてきました。
僕は非常に寒気がして、その扉をみてしまいました。幸いなことに、幽霊は見ることはありませんでしたが、声は「助けて」というのは、15年以上経過した現在でも昨日のように覚えております。
「友人たちと手を合わせて花を供える」
この怖い体験を友人と先輩に話をしました。すると友人と先輩が、「俺たちでさ、手を合わせて花でも供えようよ」ということになりました。
僕が体験したことを先生に説明をして、供養に関しての許可を貰いましたので、供養をすることになりました。
先生も「自分も供養に参加させてくれよ」ということで、先生立ち合いのもとに供養をすることになりました。
僕と友人3人と先輩2人、先生の7人で手を合わせて花を供えました。
自殺なのに「助けて」?
自殺するのを「助けて」