坂本先生の怖い話
投稿者:adooo (10)
ぼくが中学生のときのことだった。
「さて、時間も余ったしどうするかなあ」
理科の坂本先生が3年D組の生徒たちに言った。授業の内容が少し早く終わってしまったので、少し時間が余ったのだった。
「先生、怖い話が良いです」
だれか女子生徒がこんなことを言うと、教室中の生徒が賛成した。「怖い話!」「怖い話!」とみんなが大きな声で口々に言うのを両手で抑えつつ、坂本先生はやおら口を開いた。
「そうか、それじゃあ怖い話な」
白衣姿の先生がちょっとうつむき気味にそう言うと、蛍光灯の明かりが先生の眼鏡に反射して一瞬きらりと光った。なにを話そうか考えているらしく、坂本先生はしばらく沈黙していたが、いつもより少し低い声で話し始めた。
「あれは先生が大学生のころだったな。大学の近くに大きな沼があってさ。先輩から聞かされたんだけど、その沼がやばいんだって。何でも、夜中の12時を過ぎてから、クルマで沼まで行ってそのほとりにクルマを停めようとすると、ブレーキが急に利かなくなるらしいんだよ。それで、乗ってる奴らが『え?』『え?』って焦ってるうちに、クルマはどんどん沼に近づいていく。じわじわゆっくりとな。これはやばいって、クルマを乗り捨てようとしてもドアが開かない。カーナビのあるクルマだと、水に入る手前でカーナビからは『まもなく、目的地周辺です』って言うらしいぜ。そのまま、どんどんクルマが水に入って行って…最後にはクルマが完全に沈んで溺死しちゃうらしいんだな」
「先生!」
クラスでいちばん成績の良い岩井くんが急に手を挙げた。
「何だ、岩井」
「あのう、これ、話に出てきたひとはみんな死んでるんですよね。先生に話してくれた先輩はどうしてその話を知ってるんですか」
アタマは良いけれども空気の読めない奴だ。せっかくの怖い話が白けてしまいそうだった。坂本先生は少し困ったような顔をして、
「お、岩井。良いところに気がついたなあ。それはな…」
最初はいたずらを発見された悪ガキのようにニヤニヤしていた坂本先生だったが、急に無表情になって黙ってしまった。オチまでは考えていなかったのだろうか。先生の次のことばをクラス全員がしんと黙って待ちかまえていた。
「…坂本。それは、おれが自分で、全部体験したからだよ。おれだって死にたくなかったさ。でも、ブレーキも何も利かないんだ。後ろの席の友達がドアをがちゃがちゃやったり、窓を必死に叩く音が聞こえてきて。でも駄目だった。坂本、おれ、沈む前におまえに電話したよな。聞こえてただろ。なあ。」
坂本先生は人が変わったように、さっきよりもさらに低い別人のような声で話し出した。クラスの連中は完全に引いていて、女子には泣きそうなのも何人かいた。
「最初はさ、水に入っても車体が浮かんだんだよ。あれ、意外と大丈夫なんじゃないかって。浮いてるうちに、だれが見つけてくれてそのうち助けが来るかもしれないって思った。でもだんだん、車体は前を先頭にして少しずつ傾いてきた。ああ、このまま逆さまに水に突っ込んでいくんだなあって。あれは本当に怖かった。足元からどんどん水も入ってくるしさ。冷たくて濁った沼の水があっというまに膝くらいまで来たんだ。あのときもおまえ、まだ電話で聞こえてただろ。坂本、覚えてるよな。そのうちすぐに胸の高さまで水が上がってきて。後ろで友達が何か叫んでるけど、もう全部どうでもよかった。そのとき、カーナビから聞こえてきた。『ポン!まもなく、目的地周辺です』って。笑えるだろ。そのあとのことはもう覚えちゃいない。がぼがぼと水を飲んで、気がついたら…」
白衣の坂本先生は、顔面蒼白、いつの間にか半分白目になりながら、必死の形相で話をつづける。教室内の異様な雰囲気に、ハッキリ言ってぼくまで漏らしそうだった。
「先生、怖いです」
「もうやめて」
女子がわめくのもおかまいなしに先生はつづけた。
「坂本。おまえ、携帯に出てくれたよな。どうして通報してくれなかったんだ。警察とか救急車とか、何かあっただろ。暗い…。寒い…。坂本、おまえ、どうしておれたちの…」
そういったきり、先生の喉からごぼごぼと何とも言えない嫌な音がした。なにかすごく苦しそうに見えた。そして「うっ」と呻いたきり、先生は目を閉じて黙ってしまった。
沈黙。
教室中に数名の女子のすすり泣く声が聞こえ、不気味な緊張感が張り詰めているなか、坂本先生が急に、
「あれ」
と言った。白目がちだったのがもとに戻り、声もいつもの先生の声だ。また、先生得意のイタズラだったのだろうか。ぼくらをからかうにしても今回はやり過ぎだ。
「え?あれ?おまえら、どうして泣いてるんだ?あれ、どうしたんだっけ?おれどこまで説明した?」
「先生、怖い話終わりですか」
これは怖い
ゾッとした