顔が描けないヒト
投稿者:廉 (8)
友人の友人は画家だ。しかし食べて行けないので、メイン収入はデジタルイラストレーターで、似顔絵のアルバイトをしていた。
彼が言うには「似顔絵はお客さんがお金を出してデッサンの勉強をさせてくれる」ものらしく、安いバイト代でもいいのだと言っていた。
彼は観光客が訪れる建物の一角で似顔絵を描いていた。デフォルメされた顔は優しいタッチで、お客さんはそれなりに来たらしい。
日曜日。彼がいつものように客を待っていると赤ん坊を抱いた若い夫婦が歩み寄って来た。二人は平凡な顔立ちの特徴の無い顔だったので、どうやって描こうかと考えた頭の中で、母親の顔が真っ黒に塗り潰された。
見える姿は旦那が赤ん坊を抱いた普通の若い夫婦だ。しかし頭の中でその親子を描こうとすると、母親の顔だけがどうにも出来ず真っ黒になる。
彼は混乱して焦り、咄嗟にスマホを掴むと「もしもし、はい、あ、すみません、今すぐ行きます!」と大声で話し、荷物を掴んで逃げ出してしまった。
夫婦は驚いたようだったが仕方なさそうに立ち去った。
彼はそうした姿を横目に離れて自販機まで行き、冷たい飲み物を買って飲んだ。
そして近くの椅子に座り、落ち着いてもう一度夫婦の姿を思い描いたが、やはり母親の顔だけがどうしても真っ黒に塗り潰されてしまう。
どうしてそうなってしまうのが分からず、行き交う人たちを眺めたが顔を塗り潰される人は居ない。
困惑したが、どうしようもない。少し休憩してから戻り、アルバイトを続けた。
それからは同じ出来事に遭う事は無く、あれは何だったんだろうと考えながらも忘れ始めた頃、駅で電車を待っているとホームの向かいに顔の描けない男が立っていた。平凡な中年のサラリーマンだった。
その頃にはもう似顔絵のアルバイトは辞めていたが、仕事の習慣でつい、日常の景色や人物、その両方を合わせた切り取り絵を無意識に頭の中で描いてしまう癖があり、その時もホームの絵を描く事を考えていたら、中年サラリーマンの顔だけが黒く塗り潰されていた。
困惑と恐怖、その両方の正体を知りたくて僅かに足を踏み出した先に電車が滑り込んで来た。到着のアナウンスは全く聞こえていなかった。
彼は電車に乗った。
二度ある事は三度あると言うから、もしかしたら死ぬまでの間にもう一度、顔が描けない人と遭うかもしれないと、彼は酒の席で苦笑していた。
その人のその後が気になる