私の友人にね、取り憑かれたように身体を鍛えている男がいたんです。
ベンチプレスは何キロ、プロテインはどのメーカー、そんな話ばかり。ある日、私が「なんでそこまでストイックに鍛えるんだ?」と何気なく聞いたとき、彼は妙に低い声でこんな過去を語り始めました。
それは彼が学生の頃、仲間内で心霊スポットに肝試しへ行ったときの話です。そこは地元でも有名な旅館の廃墟で、女の人影を見た、子供の足音がする、などいくつかの噂がありました。
しかし…。
一通り全フロアを見て回った一同は特段怪異に出くわすこともなく、「なんだ、何も出ないじゃん」と拍子抜けです。そろそろ帰ろうかと話していた時、彼は急激な尿意に襲われました。どうしても我慢できなくなり、仕方なく廃墟のトイレで用を足したんです。
すっきりしてトイレから出ようとした際、手洗い場にある大きな姿見が、嫌でも目に入りました。
ふと鏡に目をやると、トイレの最奥、誰もいないはずの暗がりに、薄汚い人影のようなものが映っていました。
「え?」と思って慌てて振り返りましたが、背後には誰もいません。
気のせいか、と再び姿見に目を戻した瞬間、彼は硬直しました。
そこには、さっきの人影が、今度ははっきりと映っていたのです。
骨と皮ばかりにガリガリに痩せ細った、小柄な男。
恐怖で心臓が跳ね上がりすぐに逃げ出そうとしましたが、金縛りに遭ったように指一本動きません。鏡から目を離すことすらできず、荒い呼吸をしている間も、鏡の中の男は徐々に近づいてきます。ついに、男が彼の真後ろにまで迫り、冷たい気配が首筋を撫でました。
その瞬間、彼はあまりの恐怖で頭がおかしくなったと言います。わけが分からないまま「うわああああ!」と絶叫し、目の前の姿見に全力でタックルをかましたんだそうです。
ガシャァァァン!!
激しい音を立てて鏡は粉々に砕け散り、それと同時に男の気配も消え失せていました。
彼はそのまま廃墟を飛び出し、事なきを得たわけですが……。
「あのさ」と、彼は私を見て言いました。
「鏡に体当たりした瞬間、確かに『人を思い切り押し倒すような生々しい感触』があったんだよ。……その時気づいたんだ。触れるってことはさ、突き飛ばせるし、殴れるってことだろ? だったら、俺が圧倒的なマッチョになれば、どんな幽霊が出てきても力づくで捻じ伏せられるはずだろ!」
彼は大真面目でした。「物理攻撃が効くなら、筋トレこそが最強の除霊だ」と。
私は彼の異様な熱量に圧倒されつつも、「まあ、一理あるかもな」なんて苦笑いして、その日は別れたんです。
ですが、その話を聞いてからわずか数週間後のことです。
彼が自室で変死体となって発見されたんです。
死因は、驚くべきことに「墜落死」でした。
高層ビルから飛び降りたわけではありません。彼は自分の部屋、それもアパートの一階の部屋にいたんです。
それなのに、およそ人間の力では不可能なほどの猛烈な勢いで、「床」に叩きつけられ、全身の骨を粉々に砕かれて死んでいました。
まるで、目に見えない巨大な何かに足を掴まれ、渾身の力で床へ叩きつけられたかのように…。
私は彼の葬儀の帰り道、ふと考えました。
どんなムキムキマッチョマンの霊なら彼をあそこまで破壊できるのか。或いは人外の、得体の知れない化け物と遭遇したのか。それとも廃墟の鏡に映った男の復讐か。
彼を殺したのは、あの時タックルされたことを根に持った、ガリガリの男だったのでしょうか。
何にせよ、この世の道理が通じない相手には、下手な対策は得策ではないようです。






















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