統合失調症の症状は、主に幻覚や妄想。またそれらによって、現実と非現実の境界が曖昧になり、思考がまとまらなくなる精神疾患だ。
これは数年前の話。
私は統合失調症を患っていた。当時の私にとって、世界はまるで悪意に満ちたファンタジーのように生きにくいものだった。部屋にポツンと浮かぶ生首。壁越しに話しかけてくる何か。授業中、クラスメイトが全員急に立ち上がって、こちらを指さして笑ったこともあった。
何が現実なのか、何が嘘なのかも分からない。ただ私がほかの罹患者と決定的に違ったのは、「今が異常」だと気づけることだ。ありえないことは、全て幻覚として無視するしか無かった。
喜怒哀楽をぶつけたい異常が例え傍にあっても口を噤む、つまらない人間だったと思う。だがこうでもしなければ、当時の私の心は持たなかった。孤独で悲観的。いっその事完全に幻覚に取り込まれてしまいたいと思えるこの感情は、誰が理解できるものか。
ある晩のことだ。
その日、家族は夜遅くまで仕事で、家には中学生の私一人だった。
寝室にいた私は、ふと、部屋の隅に男がいるのを目にした。蜘蛛のように細長い手足、天井に頭が着くほどの身長。
気になって眠れなくなってしまわないよう、慌てて布団を被り、目と耳を閉じた。だが次の瞬間、まぶたの裏が異様に明るくなり、外が寒くなるのを感じた。
恐る恐る目を開けた。
そこには布団を持った、あの男が立っていた。蛍光灯の逆光でシルエットのようになっていたが、それでも男の異質な笑みだけは、ハッキリと見えた。
男はその笑顔を崩さず、ベットの上で呆然とする私の上に跨った。そして無言で、冷たい手で私を殴り続けた。拳が当たる度、冷えた冬の冷気が肌を割るような激痛が脳を揺らした。それはこれまでの幻覚の中でも体験したことがないくらい苦しかった。
それでも、私は声にも出さず、抵抗もせず、静かに耐えた。今私を殴る男は、実在しないからだ。それに幻覚に声を出して怯えたら、また家族に怒られて精神的病院送りだった。私はただ男のサンドバッグと化し、涙目で、この幻覚が終わる時を待つしか無かった。
最後の方は意識が薄れていた。そして男は満足気な表情で部屋から出て行った。
ーー
目が覚めた時、私は病院にいた。そこは壁紙が乾いて砕けたように破れ、カビ臭い病室だった。そして私の身体はベッドに縛り付けられ、身動きが取れなかった。
すると、キィーとドアが軋む音がした。寝たまま視線だけをやると、ナースがそこに立って部屋に入ってくるのを見た。
ナースは私に対し、会話を試みた。
「あなたの名前は何ですか?」
「〇〇 ○(本名)です」
たったこれだけの会話なのだが、ナースは驚いたような顔をして私を見つめ、部屋を走って出た。
すぐ、医師が大慌てで部屋へ入ってきた。
だが、わたしはその医師に、妙な既視感を覚えた。
あの日の男と、顔が全く同じだったのだ。似ているという次元ではなく、同じだ。医師はあの日の狂気的な笑顔で、こちらに話しかけてきた。
「心配したよお。君、小六の頃から酷くて。入院して二年間、ずっとうなされてたんだよお。」
私は驚いた。あの日の出来事も、学校の友人との思い出も、全てが幻覚だったのか?と
男はまたにんまりと笑った。やはり、その顔の主は間違いなく、あの日私を無言で殴った男だった。そしてまた今も、口角が裂けそうなほどの笑顔を私に向けている。
そしてその男と、今この病室で二人きりだ。
私は恐怖を覚えた。そしてその瞬間、ふと全身に激痛が走っていることに気がついた。動けない、気を失いそうなほどの痛み。今まで目覚めたばかりで気が逸れていたのが、男を見て思い出したかのように痛みを感じるようになった。

























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