中学二年生、冬の日曜日。
近々部活動の試合を控えていた私は、練習のために学校にいた。
数時間の練習を終え、先に帰る友人たちを見送った後、私は顧問への用事を済ませるために少しだけ校舎に残った。私が帰ったのは、皆が帰った十分後。友人たちは既に学校を出ており、一人の下校になった。
校舎を出た瞬間、妙に生ぬるい風がねっとりと肌を撫でた。寒く乾いた冬の風とは違う、不快な風だった。それが、よりこの広い学校の中で一人きりという孤独をかき立てるように、幾度も幾度も吹いた。普段は友達と一緒に帰ってるから、この誰もいない静まり返った校庭の空気が、異質なほど寂しく感じた。
昇降口のそばにある大きな松の木を通り過ぎようとした時、バサバサッと激しい羽音がした。私の気配に驚いたカラスの群れが一斉に飛び立ったのだ。一人の下校で神経質になっていた私は、反射的に振り返り、上を見上げた。
私は視界の隅に、どこか妙な違和感を覚えた。それは次第に確信に変わった。校舎の屋上に、幾つもの黒い人影がひしめき合っていたのだ。
影たちは手を繋ぎ、何らかの踊りの様な祝祭の様な、不気味な動きを規則的に繰り返していた。冬の澄み渡った空と対を成す異質な黒さは、どこか見とれてしまう様な神々しい美しさを持っていた。
黒さで何も見えなかったが、一つ分かることがある。彼らが屋上にいるということは、少なくともこの学校の学生ではないということだ。
私の学校の屋上は、生徒の誰も行ったことがないし、そもそも行けるのかも知らない。屋上で実験を行いたい理科の先生ですら「入り口がどこにあるのか分からない」とこぼすほどだ。だから屋上で集団が踊っているというのは、本来はありえない事のはずだった。
それらはただ黙って踊っているだけなのに、辺りの雰囲気を支配していた。息すら忘れるほど荘厳で恐ろしく、気づけば不思議と魅入ってしまう程だ。落ち葉や風含め、その場の全ては、私と同様ピタリと動きを止めた。
だが先程のカラスがその空気を打破した。それらを警戒したのだろう。まるで死の一歩手前のように懸命に、掠れた大声でガアガアと鳴き出したのだ。
…やばい
カラスが鳴いた瞬間、私も共鳴する様に直感が警鐘を鳴らし、私は逃げようとした。だがその時だった。
突如として、全身が鉛のように重くなった。動け、と脳が命令しても、指先一つピクリとも動かない。金縛りだ。
走っていた私は受け身も取れず転んでしまった。膝からは血が出ていた。激痛でも体が動かず、それを抑えて悶え苦しむことさえ出来なかった。
それでも必死の思いで、視線だけを屋上へ向けた。彼らは屋上から、整列してこちらを静かに見つめていた。もちろん踊ってもいない。動かず、ただこちらをじっと見下ろしている。
呆気にとられ、ただただ屋上を見上げていると、彼らのうちの一人と目が合ってしまった。
その瞬間、彼らは屋上の縁から消え、校舎の内側へと向かってゆっくり歩き出した。規則的にズンズンと揺れる黒い影が、階段を四階、三階…と下り、こちらに一歩ずつ近づいてくる。彼らがこちらに来ようとするその様子が窓越しに見えたが、体の動かない私にはそれが来るのを静かに待つしかできなかった。
一分ほど経ったある瞬間、激しく鳴いていたカラスがスっと静まり返った。
同時に、彼らが昇降口のドアから見えた。
冷や汗と涙とが頬を伝う。それは一歩、また一歩と近づいてくる。もう距離は四メートルもないかもしれない。
ただ、積もり積もった恐怖が一周回り、逆に私を冷静にした。覚悟を決めてフーッと大きく深呼吸し、根性で、動かない足を少しづつ無理やり動かした。転んで起きてを繰り返して、一歩、また一歩と地面を蹴った。それを繰り返す内に、次第に体は自由を取り戻していき、私は校門を目指して全力疾走した。
校門を飛び出し、目の前の大きな横断歩道へ突っ込んだ。車が走っていたが気にせず、クラクションも聞こえず。ただむしゃらに道を駆け抜け、対岸へ渡りきってからようやく後ろを振り返った。
彼らは、道路の対岸にいた。十数人の黒い影が、車の飛び交う道を壁に隔てられた様に、歩道の縁で呆然と立ち尽くしている。それらは神々しさを失い、ただ形だけ人間の、情けなく醜く恐ろしい化け物に見えた。彼らはそれ以上こちら側へ来ることはなかった。
……そこから卒業するまで、学校中の行く先先で、私はあの人影に見られ続けた。目をつけられたんだろう。しかし誰かに話す勇気も、信じてもらえる根拠もなく、この地獄のような一年半を耐えるしかなかった。
皆は一人で帰る時、屋上を見ないように気をつけて欲しい。今でも、十年前のあの時転んでできた傷が、黒い跡となって残るのだから。

























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。