大好きだったのに
投稿者:リュウゼツラン (24)
父の妹は甥っ子である僕をとても可愛がってくれた。
夏休みに父の実家に行くと、いつも嬉しそうに僕を迎えてくれた。
僕ももちろんそんな叔母が大好きで、駄菓子屋に行っては大量のお菓子を買ってもらい、東京では見れない綺麗な星空を見に山の方まで連れてってもらったりと、本当に色んな経験をさせてくれた。
叔母は40歳で結婚した。
適齢期は過ぎてるんだろうけれど、それでもちゃんと結婚式を挙げて、たくさんの人に祝福されてたし、幸せそうな叔母の笑顔を見れて僕も嬉しかった。
それから数年が経ち、叔母は42歳で妊娠し、初産を経験する。
高齢出産だからと周りも本人も心配したけれど、母子ともに健康だった。
僕にとって初めての従兄弟でもあるその子供は『貴志』という名前で、貴志はまだろくに言葉も話せない内から僕に懐いてくれた。
一回り以上離れてるから、兄弟どころか親子くらいの差に感じてしまうけれど、僕は彼を弟のように可愛がった。
貴志は大きな病気にかかることもなく、4歳になると元気さに拍車をかけ、河原の土手で遊ぶのが大好きになる。
僕は貴志を駄菓子屋に連れていって好きなお菓子を買ってあげたり、叔母に教えてもらった絶景スポットにも連れて行ってあげたりと、叔母への恩返しではないけれど、自分がしてもらったことを貴志にもたくさんしてあげた。
5歳の誕生日に貴志は死んだ。
従兄弟の訃報に僕は泣き崩れ、もう二度と話すことも触れることもできないことが悲しくて仕方なかった。
でも、僕より悲しんでいる人がいるので、僕は自分が一番悲しんでるみたいな顔をしてはいけないと思い、叔母の前では毅然とした態度でいようと決める。
お通夜の最中、叔母は憔悴しきっていて、周囲の慰めの言葉も聞こえていないみたいだった。
うちの母親が言うには、歳を取ってから産んだ子供は思い入れが違うとのことだった。
母も僕を産んだのは38歳で、世間的には初産であれば高齢出産に分類されるらしく、多分世間の親より可愛がったと懐かしそうに話していた。
僕は叔母に何もしてあげられなかった。
でも、あれだけたくさんお世話になった人に何もしてあげられないなんて自分自身納得いかなくて、葬式後、貴志の変わりに僕を息子だと思ってと叔母に伝えた。
うちの母親に頬を叩かれ、父親には拳で殴られた。
後から考えれば配慮がなかったと自分でも思う。
でも、何かしてあげたかったんだ。
貴志の葬式の翌日から、叔母は深夜に外を徘徊するようになる。
歩き回るだけならまだしも、お地蔵様のお供え物を持ち帰ったり、他人の家の前でおしっこをしたりと、奇行が続いていた。
叔母の旦那さんは息子を失い、更にショックでおかしくなってしまった妻を抱え、きっと精神的にかなり参っているんじゃないだろうかと、今度はそっちが心配になった。
でもそんな僕の心配は的外れで、数日後に叔母は殺人事件の容疑者として逮捕される。
貴志を殺したのは叔母だったらしい。
叔母の供述によると、叔母の旦那は浮気をしていたとのことで、以前から叔母は気づいていたらしい。
それでも貴志の為にも離婚はしたくないと、気づかぬ振りをして我慢する毎日だった。
しかし、貴志の誕生日当日も、旦那は仕事で帰れないと嘘を吐き、浮気相手の家に行っていたのだ。
その事実を知った叔母は、八つ当たりのように貴志を殺害。
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