仮にそうだとして、それではなぜ東条さんは自力下山後、家族や友人に児玉さんの行方を尋ねなかったのか。なぜ関係者に児玉さんの不誠実な対応を吹聴しなかったのか。
東条さんは復讐を誓っていたのかもしれない。みずからの手で、かつての相棒に罰を下すのだと。そのためには彼が生きていることを児玉さんに知られてはならない。
瀕死の重傷を負って血まみれになりながらも、相棒への恨みを募らせながら執念で下山する若き日の東条さんの姿が、脳裏にありありと浮かぶ。
山屋は山に登ることでしか、己が生きていることを自覚できない哀れな人種である。どれだけ忌まわしい記憶があろうとも、いつか必ず山へ戻っていく。それはもはや習性に近い。渡り鳥が遠く離れた営巣地に戻ってくるようなものだ。児玉さんも何十年も前のことだという油断があり、古巣の中央アルプスに凱旋を果たした――。
以上の記述はすべてわたしの妄想である。
それでもわたしはどうしても、東条さんの去り際の台詞が気になって仕方がない。
「きっと奴も浮かばれるよ」
児玉さんが亡くなったのはいつなのだろう。
わたしはそれが、数十年前であってほしいと切に願っている。
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本当に山がわかる人の書いた文章なのだろうが、リアリズムがあって、それゆえの怖さがある。
いい作品だね。
両作品とも拝読しました。作者さまは登山をされる方なのでしょうね。無縁な読者にも雰囲気の伝わるリアリティで、大変良かったです。
今後の投稿も楽しみにしています!