そんな彼らですら、いつかはミスを犯すものだ。山行中絶えず集中し続けることは不可能である。山に入っている時間が長ければ長いほど、事故に遭う確率は高くなる。それは難ルートで起こるとは限らない。むしろなんの変哲もない一般道で起きることのほうが多いのだという。
事後現場は中央アルプスの仙涯嶺(2,734メートル)直下。その日2人は〈たまには気楽な山行を〉という趣旨で、越百山(2,613メートル)を基点として空木岳(2,864メートル)に至り、木曽殿越えを経由して下山するルートを考えていたそうだ。
仙涯嶺は中央アルプス南部のオベリスク的な山で、直下には垂直に近い岩場がある。とはいえホールドも豊富で、難易度は決して高くない。ただ時期が悪かった。12月下旬、岩場の表面はクラストしており、慎重なムーヴが求められた。
東条さんが先にアプローチし、ピッケルとアイゼンを駆使して危なげなくクリア。児玉さんもそれに続く。彼が登り始めたのとほぼ同時に、風速30メートルはあろうかという強風が上で待っていた東条さんを襲った。よろめいた彼は拳大ほどの岩を蹴り落としてしまった。
まるで岩と児玉さんのあいだに糸でも結ばれているかのように、それは登攀中の相棒の額を直撃した。それだけで十分だった。数メートルほど下に叩きつけられた児玉さんの身体は勢いを殺し切れず、そのまま雪をかぶって摩擦係数ゼロの滑り台と化したハイマツ帯へと消えていった。
携帯電話もなかった時代である。自力救助は困難と判断した東条さんは単独で下山し、警察へ通報。大規模な捜索が行われたものの、結局児玉さんの消息はわからずじまいなのだという――。
* * *
「児玉さんをいまでも探しに来てるんですね」
「まあ、そんなところだね」なぜだか東条さんの歯切れは悪かった。「つまらん話をしちゃったな」
わたしたちはそこで別れた。東条さんはこのまま南駒ヶ岳の山頂で適当にビバークする由。なんでも寝転がるのにちょうどよい塩梅の薄い岩があるのだとか。フリークのビバークは次元が違う。
その話を聞いた夜、駒峰ヒュッテで布団にくるまりながら、わたしは決意を新たにした。
〈これからも単独登山を貫徹しよう〉
わたしのような独学で山をやっている技量の低い人間は、自分の命を守ることすら満足にできないことがままある。他人の命まで気にかけている余裕などあるはずがない。その点単独行は気楽だ。最悪の事態が起きても死ぬのは自分1人ですむのだから。
わたしは山でろくに眠れたためしがない。その日は後味の悪い話を聞いたせいで余計に目が冴えてしまっていた。まんじりともしないまま幾度も寝返りをうちながら、些細なことが気になった。
なぜ東条さんはわざわざ南駒ヶ岳までやってきたのだろうか。仙涯嶺直下が事故現場なのだから、そのあたりを徹底的に捜索すればよさそうなものだ。
* * *
東条さんと最後に会ってから数年後の夏、久しぶりに中央アルプス北部の縦走をしていたときだ。
島田娘(2,858メートル)の直下あたりで、わたしは東条さんと5度めの邂逅を果たした。あれから加齢とともにこの山域へのアプローチ回数が減ったとはいえ、毎年必ず2度以上は訪れていたのだが、彼には一度も会わなかった。実に数年ぶりの再会である。
「やあ青年。元気だったかい」
「おかげさまで。ここ最近見かけませんでしたが、どうしてたんです」
「見つかったんだよ、児玉が」やけに東条さんは嬉しそうだった。「だからもう、血眼になってここらあたりに登らなくてもよくなってね。今日は純粋に山を楽しみに来てるんだ」
心から彼の冥福を祈った。
「児玉さんは、どこで……?」
「あの野郎、のんきに檜尾小屋に泊まってやがった」
記憶している限りでは、確か仙涯嶺で滑落したという話だったはずだ。檜尾小屋は仙涯嶺から数キロメートル以上も離れた位置にある。これは遺体を一時的に収容した場所、という意味なのだろうか?
わたしは首をひねりながら暇を告げた。
「ご冥福をお祈りします」
「ああ、ありがとう。きっと奴も浮かばれるよ」
島田娘を下りながら、わたしは身の毛のよだつような可能性に気づいた。
事故の当事者は、逆だったのではないか? 東条さんが滑落した側で、児玉さんが岩を落とした側だったのでは? 山で起きた事故は生存者の証言を信じるしかない。過失とはいえ人を死なせた(と思い込んでいた)児玉さんが、下山後に法的な制裁を恐れて本件をうやむやにした可能性は十分考えられる。
彼は万が一相棒が生きていることを考慮し、生活圏から姿をくらませた――。























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