日記をつけ始めたのは、ちょっとしたきっかけだった。
別に自己啓発や作家志望というわけではない。単に仕事のスケジュールや人付き合い、細かい買い物の記録なんかを整理したかっただけだ。
きっかけは、ひと月前。
出先で取引相手と約束した納期をまるっと忘れていて、上司から叱責を受けた。スマホのメモは開く習慣がなく、スケジュールアプリも通知が来て初めて気づく程度だった。
だから、紙の手帳を買った。
ついでにその裏ページに、その日あったことを数行でいいから書くことにした。
日記というより、記録という感覚だった。
最初は、些細なことばかりだった。
「朝、コンビニで“もっちチョコパン”を買った」
「会議が15分延びた」
「Aが風邪で休んだ」──そんなレベルだ。
けれど、四日目の朝。
俺は、異変に気づいた。
前夜の記録のあと、2〜3行、まったく記憶にない文が書かれていた。
午前2時13分、彼がこちらを見た。
風の音に紛れて、彼の声が聞こえた。
まだ、気づいていないようだ。
筆跡は、確かに俺のものだった。
けれど、そんな内容を書いた覚えはない。
なにより「彼」って誰だ?
寝ぼけて書いたのかと、最初は自分を疑った。
だが、気味が悪くて、そのページだけ破り捨てた。
翌日、また同じことが起きた。
破ったページの次に、同じような調子で文章が綴られていた。
彼は鏡を見るのをやめた。
そろそろ、名前を思い出すだろうか?
忘れることは、罰だ。
書きながらゾッとした。
これは、俺が“自分のこと”を指して書いている文じゃない。
誰かが、俺を観察して書いている。

























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